こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。
たまには世の中批判も良いだろうと勝手に思って投稿します。
「Slaves and Masters」ですが、奴隷と支配者という訳でしょうか。
これは、「ディープ・パープル」というバンドが1990年に発表した
アルバムのタイトルです。私は、このようなタイトルに「グッ」ときます。
忘れませんね。他には「ボブ・マーリー」の曲で「I Shot the Sheriff」など。
曲の内容は、警官である「Sheriff」を拳銃で撃ってしまった社会の有様が歌われています。
さて、「ディープ・パープル」がこのアルバムを出した頃からか、「グローバル化」という流れが大きくなっていったと思います。
こいつが、厄介でした。(と、私は思っています。)
日本からも企業が、積極的に海外に打って出ます。
同時並行で、世界のニュースでは「争い」が頻繁に流れるようになります。
これは、(私の勝手な見方ですが)文化は相対する他の文化を排除する構造がある為です。
(私の記憶にある文化 より)
競争という言葉の下に、「侵略」や「紛争」という現実も、当たり前のように、自然のように語られ始めます。
これは、人々が「富」を目指すために発生した現象です。
そして、日本ではさらに「派遣社員」という存在が、新しい生活のスタイルとして打ち出されます。
言葉は美しいですが、大昔の「市民権」のない「奴隷」と同じだと思いました。
こうした企業に「都合の良い」人員の補充という現象はいつまで続くのだろうか。
私は思っています。
ヒトラーをご存知でしょうか。ヒトラーは預言者としても有名です。
ヒトラーは、その予言の中で、「人類は、完全に2つに分かれる」のような事を語っています。
(以下のサイトが参考になります。)
http://inri.client.jp/hexagon/floorB1F_hss/b1fha400.html
私が思う所は、「富」も結構なのですが、「理性」も大切であると言う事です。
現行の世の中では、誰もが当たり前のように考えていると思いますが、「富」という価値が第一にあります。
それは、「生活」を守る為です。
しかし、この「富」をめぐる世界的な流れは、それは明治時代頃の世界帝国の風潮と同じです。
「侵略」や「植民地」という言葉を、例えば「派遣社員」という美しい言葉に置き換えるようにして、「富」の奪い合いが発生しています。
いわゆる、「赤い帝国」の事ですし、「マネーゲーム」でもあります。
これは誰でもご経験のある事ですが、他人が掲げる「目標」を遂行する事は難しい事です。それが、何億という人間を抱える国家なら。
マルクス主義を掲げた、いわゆるソビエトも無くなってしまいました。
今、「赤い帝国」では「広がり」を見せています。私には「理性的」には映らないのです。「富」の行き着く先は、「侵略」や「紛争」です。
一歩間違えば、「崩壊」すらある事です。
「Slaves and Masters」と言う言葉ですが、人はどちらに行き着くのでしょうか。
何のための「奴隷」であり、何のための「支配者」であるのか。
このアルバムを買った当時から思っている事です。
この当時、マイケル・ジャクソンが「Black or White」という曲を発表しました。
マイケル・ジャクソンの中で、一番好きな曲です。
私が大切にしている言葉があります。それは「他人にどれだけ尽くせるか」という言葉です。
これは、丹波哲郎さんが言っていた言葉です。
マイケル・ジャクソンが「白人」も「黒人」も関係なく、人として生きている様を歌っていますが、その環境の中で、「他人にどれだけ尽くせるか」が必要だと思うのです。
きっと、そうしている理性を持った方々が「Masters」であるのだろうと思うのです。
ヒトラーの言う「人類は、完全に2つに分かれる」という、「ゴッドサイド」の人間であると思うのです。
「Slaves」とは、 とりあえず「富」を理解して、自己の生活にだけ視野のある、いわゆるロボット的な方々でしょうか。
「理性」を保つことは、集団生活の中では辛い事もあるでしょう。
しかしです。巷の「知識」や「言葉」に囚われずに、ご自身の中にある「想い」が最大に大切な資産です。
まず、ご自身をご自愛ください。
そして、「他人にどれだけ尽くせるか」の人になって欲しいのです。
「Masters」になってください。
今回は以上にしたいと思います。
最後までお付き合いいただき、有難うございました。
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