日本の思想の中で「神様」に対する行動は、ある意味「特殊」を感じさせます。
単純に「アニミズム」(自然崇拝の中にある事)として捉える事のできない領域であると感じます。
それは「科学」に近い感じを受けるのです。
神話による「日本列島」が出来るまでの話し。
そして神々の誕生は、「アニミズム」と言うよりは「自然科学」に近いものを感じます。
さて、こうした神々の中に「祇園精舎の守護神」である「牛頭天王(ごずてんのう)」がおられます。
「牛頭天王」は「蘇民将来の説話」が有名です。
「蘇民将来」のお祭りは、大変な「にぎわい」のようです。
そんな「牛頭天王」について、少しだけ投稿したいと思いました。
「牛頭天王」から「スサノオ」に
これは明治に起こる出来事ですが「牛頭天王」が「スサノオ」に代わってしまいます。
神社に仏教系の「祇園精舎の守護神」である「牛頭天王」が祀られているのは間違っているという事です。
(明治以前は、まったく問題ありません)
私は「牛頭天王」に興味がありました。
私が子供の頃に良く遊んだ、家の近くの神社の神が、本来は「牛頭天王」でした。
ところが「スサノオ」になっていたのを知り、「牛頭天王」はどこに行ったのだと思うようになりました。
探せば祀られている
竹寺(八王子)は有名です。
本日の投稿の核心
「牛頭天王」は「二面性」を持った神です。
「祇園精舎の守護神」である「牛頭天王」は「善面」の神様です。
逆に「地獄」の側面も持っています。
それが「牛頭鬼」と言われるようです。
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参考・「勝ち神」に愛される方法 P54
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「守り神」の側面を持っていれば、逆に「鬼」の側面を持っていると言う事です。
これを「科学的」に見ますと、つまりは「自然」なのです。
「火の神」「風の神」「水の神」「人の神」は、いずれも「自然界」の動きを司る神々です。
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参考・顕現力ふたたび 濱陽一著
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この自然界の力は「善」と「悪」であり、それは「使う側」の行いで変化するのです。
だから、単純に「鬼は悪い」と扱う事は間違いなのです。
それは「鬼」としての側面を生かしてしまっているのです。
「祇園精舎の守護神」である「牛頭天王」という側面を生かそうとするのであれば、しっかりと「お祀り」を行ない、皆々様が楽しく、喜びを持って接する事を続けている事でしょう。
前々回の投稿より、この世界には「感謝と恐怖しか存在しない」という事を投稿しております。
この世界に「感謝」と「恐怖」しかないのであれば、おのずと「感謝」を見続けていれば、皆々様が楽しく、喜びを持って接する事のできる世の中になると言う事です。
それが「祇園精舎の守護神」である「牛頭天王」と、重なって見えたのです。
古来より、物理的な動作の中にある世界観の中に、それを「神々」と称して祀りました。
故に、八百万の神々が生きてくるのです。
ただ、八百万の神々には「善」と「悪」があります。
その「善」と「悪」を用いるのが、私達になります。
これを有効に生かすには、つまり「感謝」の世界を見続ける以外に得策がないのです。
今回は以上にしたいと思います。
最後までお付き合いいただき、有難うございました。
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