「サーボメカニズム」について③

 

こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。

本日は「サイコサイバネティクスカテゴリー」にて投稿します。

「サイコサイバネティクス」の詳細は、書籍を読まれれば解るのですが、このブログでは、私が実体験した記録やイメージを加えてお話を行おうと思います。

 

今回は少し長いですが、気長にお付き合いくださいませ。

 

前回の続きですが、私が部屋の片づけを完了する為には、この「サーボメカニズム」に「イメージ」を送り込む必要があります。

 

マルツ博士は「映画館」で、自分が行っている事を「スクリーン」に写し出している気持ちで行うと良いと言っています。

 

(この「イメージトレーニング」については、別途に投稿しようと思っています。

 

 

まず、自分が部屋を片付けて、棚を設置して鉱物が片付いた所までの映像を楽しみます。

(ふむふむ、やはりメンドクサイ気持ちはあるようだが、快適な机まわりになっているな。)

 

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さて、もう一度、その映像を楽しんでみます。

(やっぱりメンドくさがっているな。しかし、部屋を片付ける所までは気合でやっているな。さて、片付けたあとは気分が良いものだ。机には何もなくなった。)

 

 

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とりあえず、部屋を片付けるまでの道のりは理解できました。

そして、部屋を片付ける時に「メンドクサイ」という気持ちと「気合いだ」と思っている部分が映像を見る限りですが、ある事も解りました。

 

 

ここまで描いたイメージは、「サーボメカニズム」に記憶されています。

だから、自分がイメージした映像を、自分で思い出す事ができます。

 

自分でイメージ映像を思い出す事が出来るので、あとは部屋を片付けて、棚を設置する作業という最終地点まで、体を動かして掃除を始めます。

 

しかし、やなり「メンドクサイ」が襲ってきます。

やはり、古い「サーボメカニズム」が影響しているのです。

ただし、この古い「サーボメカニズム」も、新しいイメージと行動を続けていれば、変化して新しい「サーボメカニズム」になります。

 

マルツ博士によると、21日間、同じ行動を習慣化すれば、「サーボメカニズム」として定着するそうです。

 

さて、私の「サーボメカニズム」の中では、過去に学校や職場などで「掃除をした記憶」から、部屋を片付けるのに有効なデータを検索しています。

 

「サーボメカニズム」は、過去に経験して記録しているデータから、その状況に対して有効なデータを検索して引っ張り出します。

 

私が部屋を片付けている時にも作動していたのでしょう。

その理由は、「メンドクサイ」という気持ちとは別に、「こうすれば効率よく片付けられる」という意識が沸々と湧いてくるからです。

 

そして、私には部屋を片付けられる「前向きな気持ち」がありました。

 

「自信がある」

 

実は、この言葉は「映画館」で映像を見ていた時から挿入していたのですが、これが現場で生きます。

 

部屋を片付けている最中の「メンドクサイ」から解放してくれるのは、この「自信」なのです。

(まぁ、片づけを終わらせる事はできるよな)

 

そんな風に感じてしまうのです。

それは「自信」があるからなのです。

 

「自信」とは「成功」なのです。

「成功」とは「自信」なのです。

だから、この「自信」という言葉は、本当に大切な言葉なのです。

 

不思議な事ですが、部屋を片付けようと思えば、それは瞬時に片付けられるものです。

やっと、机の鉱物を片付けて、鉱物も自作の棚の中で落ち着いています。

 

まったく机の上の状況は変化しました。

息苦しさは少なくなりました。

 

おそらく、この息苦しさは「机自体」にあり、これは暫定的な片づけだなとも理解しています。

これ以上の掃除になると、また別の時期をみて行おうと思っています。

 

ただし、悪い意味で重要なのは、この「時期をみて片付けよう」と思っている行動です。

この優柔不断な態度も「サーボメカニズム」に記録されます。

 

すると、「いつかやろう」と言う気持ちが永遠に続くことになります。

 

だから、これからも片付けの「イメージ」を作り続ける作業が必要でしょう。

習慣化すれば問題はなくなりますが、大きな片付け物は、すぐには体が動かないものです。

 

さて、「サーボメカニズム」についての説明はこれで終了しようと思います。

 

人間には不思議なもので、催眠術師に暗示をかけてもらわなくとも、意識のある自分自身で「サーボメカニズム」をコントロールする事ができます。

意識があるにも関わらず、「誰かに叩かれた」と感じたら、それが現実として理解されます。

実際に「頭」にコブが出来ていたりします。

 

これらは「サーボメカニズム」によって引き起こされています。

この「脳」と「神経系」に張り巡らされた機能は、自分自身の想いで活用されます。

決してですが、自己とは本来、他人の声で操作できる物ではありません。

 

宗教や政治でも、他人の言葉に同調している方々は、他人の言葉に操られているのではないのです。

自分自身が明確に決定した意識意外に、「サーボメカニズム」に記録はできないのです。

つまり、他人の言葉を自分が正しいと決定した時に、自己の「サーボメカニズム」に記録されるのです。

 

他人の言葉を信じる事が当たり前の世界では、本来は「自分」と「他人」はまったく別の存在であるにも関わらず、自分を放棄して他人の言葉の支配下に自分を置きます。

特に変な宗教などがその典型です。

 

学校の先生の言う事が正しい、警察の捜査が正しい、社会が正しい、医者が正しいなど、そうした情報を、自分が「正しい」と認識すれば、自分の言葉として「サーボメカニズム」が起動します。

 

だから、「自分」と「他人」は違う存在である事を、常に理解しないとならず、そうしないと「自分」が生きてこないのです。

 

これは大変に視野を狭くします。

 

その狭い視野で、本当の回答を出さない他者の言葉に支配され、自己が見当たらずに苦しむ経験は誰にでもあるはずです。

 

さて、日常生活で、いつも不安を持ってすごしている人は、その不安が「サーボメカニズム」に記憶されているため、つい「不安」の行動を取りたがるようになります。

 

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同じように、いつも迷っている人は、その迷いが「サーボメカニズム」に記憶されているため、つい「迷い」の行動に突き進む傾向がでてきます。

 

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同じように、いつも失敗ばかりを続けている人は、失敗が「サーボメカニズム」に記憶されているため、つい「失敗」の行動におちいりやすくなります。

 

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同じように、いつも怒鳴ってばかりを続けている人は、怒りが「サーボメカニズム」に記憶されているため、つい「怒鳴る」という行動をとってしまいます。

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同じように、いつも笑っていて、自分の行う事に成功ばかりを感じ、自分の周囲の他人に気を配り、自分と他人の存在を理解して、自分を大切に思い、他人にも大切な気持ちを持ち続けている人は、その習慣が「サーボメカニズム」に記憶されているため、いつも「笑う」という行動をとってしまいます。

 

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だから、仕事をしていても、画像のような失敗などは考える事がありません。そのような習慣が「サーボメカニズム」に記憶されているため、いつも「前向き」という行動をとってしまいます。

 

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とにかく、成功や幸福ばかりを感じる存在になってしまいます。決して、お金や地位のが成功や幸福ではない事を知っています。

そして、そんな精神的な影響が周囲にも影響してゆきます。「ウツ病」とは無縁であり、そんな病など考える事がありません。そのような習慣が「サーボメカニズム」に記憶されているため、いつも「成功者」という行動をとってしまいます。

 

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サーボメカニズム」という存在は、大変に重要な位置を占めています。

 

この「サーボメカニズム」を有効に使う方法が解っていれば、むやみに「悩む」という行為がなくなります。

また、「事件」に巻き込まれるよう事も少なくなります。

 

これらには「縁起」や「因果」もありますが、自分が望むとは別の機関である「サーボメカニズム」が原因である事もあるのです。

 

「サーボメカニズム」が「失敗のサーボメカニズム」である限り、努力や意志の力では、まったく歯が立たないのです。

 

だから、私は「頑張れ」や「努力しろ」や「会社では命令に従え」や「意志の力で何とかしろ」という、ふざけた振る舞いが大嫌いなのです。

 

これらは、自己を否定した内容であり、また「意志の力」では「サーボメカニズム」が機能しない為、「失敗のサーボメカニズム」として動作を始め、「セルフイメージ」を傷つけます。

 

傷ついた「セルフイメージ」で生きる事は、どんどん人生の内容を悪化させます。

 

しかし、傷ついた「セルフイメージ」の雰囲気を普通だと思って、それが社会であると思い込んで生きている人もいます。

それは違います。

だからノイローゼになるのです。

 

「セルフイメージ」は輝いていなければならないでしょう。

そのように「サーボメカニズム」を機能させ続けるべきでしょう。

 

なぜ、自分の人生がうまく運ばないのか。

神や占いに興味があるのか。

事故やばかりに悩まされるのか。

失敗ばかりするのか。

誰も認めてくれないのか。

孤独であるのか。

生きている事がつらいのか。

 

こうした事は、自分が努力を起こしても、また「意志」の力を振りしぼっても解決しません。

しかし、多くの成功本は、この「努力」や「意志」の力を掲げています。

 

実際は、「努力」や「意志」の力には限界があり、成功はしていないと感じているはずです。

 

もし「努力」し続けいる人を見かけるのであれば、それは「努力」ではなくて「サーボメカニズム」が動き続けているのです。

 

勝手に、イメージした「サーボメカニズム」が、その人を行動させているのです。

同様に、不運ばかりを考え込む人は、「失敗のサーボメカニズム」を機能させているのです。

 

今回は「サーボメカニズム」について、長い文書になりましたが、きっと多くの方が、「努力」や「意志」によって道は開けると思っていると感じています。

 

そのようなスローガンは、いたる所にあります。

 

また、自分を犠牲にして他人を助ける事が美徳であると教えられ、自己の存在が薄くなっている人も多いはずです。

 

社会にでれば、ますます「自己犠牲」が利用されて「会社の為に働く」という事を、素直に受け止めて、自己を否定した「失敗のサーボメカニズム」を機能させ始めてしまうのです。

 

その上、本来は比較しようがない他人と自分を比べるようになります。

また、それによる劣等感も生まれ始めます。

いや、作り出します。

マルツ博士は、これを大変な「悪」であると捉えています。

 

また、隔たった意識や思考が出来上がり、それが家庭に浸食します。

本来、人間は動物ですから、誰でも「尊厳」という本能を持っています。

しかし、学校や家庭で、それが抑圧されて、去勢される事態が出てきます。

親の言う事、先生の言う事は、けして正しくはありません。

 

人間が普通に持っている「本能的な尊厳」は、誰も壊す事はできません。

あなたという個人以外、だれも壊す事はできません。

全ての決定権は、あなたにあるとマルツ博士は言っています。

だから、良く生きる事が大切で、この「サーボメカニズム」という考えを、日常の道具と同じように扱って頂きたいのです。

 

今週は「サイコサイバネティクス」ばかり投稿しましたが、世の中で発生している「自殺」や「殺人」など、おおよそ、この「サイコサイバネティクス」の理論で説明できると思います。

 

「サイコサイバネティクス」は、これだけではありません。

また、来週あたりに投稿したいと思います。

 

今度、投稿する際には「イメージの使い方」などを投稿したいと思います。

 

若干、仏教的な「ご縁」などのお話もしたい今日この頃ですが。

 

今回は以上にしたいと思います。

最後までお付き合いいただき、有難うございました。

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