新自由主義(ネオリベラリズム)が生む壮絶な格差社会

 

こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。

今回は「思想カテゴリー」にて投稿したいと思います。

私は「経済的」な分野は不得意でありますが、細やかながら投稿します。

 

最近ですが、「格差」が問題になっております。

この問題は、前回に投稿しております「戦争ネタ」以上に感じている事です。

 

何故に私が脅威を感じているかですが、「ピケティ」というフランス経済学者が格差の計算を行ったところ、現在の経済的な格差が、産業革命当時と同じであると言ってるからです。

「マルクス」が生きていた頃の水準と、同じである訳です。

 

この頃は「労働者」の為の法律も曖昧(ない)であり、労働時間は子供でも駆り出されて、道具のように使われていた時代です。

道具ですので、使用できなければ、使い捨てを行えば良い訳です。

 

それでは不平や不満が爆発する世の中になりますので、「共産主義」や「福祉国家」が生まれてきます。

 

「共産主義」は、嫌な資本家を追い出そうとする行動です。

「福祉国家」は、国家として福祉を見直そうとする行動です。

 

「共産主義」は影が薄くなりました。

「福祉国家」はどうでしょうか。

 

「福祉国家」では財政が持ちません。税金が沢山必要になります。

そこで、新自由主義(ネオリベラリズム)が生まれてきました。

 

極端な事を言いますと「新自由主義(ネオリベラリズム)」とは、国家が国民の面倒は見ないから、勝手にがんばってね!という感じです。

 

間違いなく、怒られる文面ですが、いわゆる国営企業を解体してゆき、競争社会にして、税収を確保する方策になります。

そうしますと、経済的な流れが、何となく産業革命当時に似てきます。

 

いわゆる、「マルクス」が生きていました「酷く過酷な労働状況」に陥ってゆきます

フランス経済学者である「ピケティ」が言います、現代の格差が、産業革命当時と同じ水準である恐怖がここにあります。

 

現代は資本主義社会です。

 

「ピケティ」は( r / g )として、有名な式で、これを説明しています。

 

例えば、GDP(国内の労働率)が1%として、「ピケティ」の言う格差を示す「資本収益率」が2%とします。

   

r は資本収益率で、gはGDPです。

 

資本収益率2% / GDP1% とします。  

 

GDPは今後、人口の減少などから減って行く傾向にあるでしょう。

しかし、資本収益率は減るどころか、増えてゆく傾向です。

「ピケティ」は、この資本収益率は今後、ますます増えてゆくと考えています。

 

資本収益率2% / GDP1% という式を考えます。

 

例えば、GDP1%ですと、私達が1年間働いた給与が1%とします。

そして、資本収益率2%ですと、資本を株や不動産に投資している方は、1年間働かないで、私達の1年間の給与分の2倍を得る事になります。

 

つまりですが、資本を持っている方々は、何もしなくても資本が増え続けます。

しかし、普通に労働をされている方は、給与も増えずに「富の差」が増え続ける事を意味しています。

 

この流れを生んだ代表的な人物が、「マーガレット・サッチャー」です。

 

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photo credit: Margaret Thatcher on TV, Grafton Way, London, U.K., 1990. via photopin (license)

   

日本では「小泉総理」でしょうか。

小泉総理の政策に、労働者の働く環境の自由を提案して広まった「派遣法」があります。

経営者は、低価格な賃金で使用しする事ができます。

人員を変更したい場合は、変更できます。

経営上の利益を考えた時、いつでも辞めさせる事ができます。

 

派遣会社は、その労働力は募集をするだけです。

あとは、会社の希望する人員を送り出すだけです。 

(思い返すと、当時の派遣会社の営業はひどかった。ただ、制服を着ただけのような方が、派遣さんを紹介に上がって着ていました。)

 

資本を持つ者は、労働者から利益を奪い、そして人員の取り変えや打ち切りが出来るのです。

 

 

格差の問題は、当時から比べて異次元的に進展している気がしております。

人類が経験をした事のない状況になろうとしています。

それは、大きな変化のないGDPよりも、資本収益率が上がり続けるからです。

もはや、普通の人間が生きようとする事が困難な状況が差し迫ってきているのです。

 

さらに申しましょう。私の世代は就職氷河期でした。現在、40歳以上で定職に付けず、フリーターや派遣社員で生計を立てている方がいるとすれば、その気持ちは計り知れません。

この世代の働く場所もない方々の「ケア」について、国はどれだけやっていますか。

私は、さほど知りません。(つまり、見捨てです。)

 

例え、個人に能力があったとしても、「資本」を持つ方々よりも底辺にある人々(ボトムズ)には、希望が見えません。

「自殺」のような絶望が目に写り始めてくるものです。

 

つまりは、全て個人の責任において対処されてしまい、もはや「ケア」なんてないのです。

資本を持つ者が優位になり、働く者との格差が大きくなり続ける。

その原因が、新自由主義(ネオリベラリズム)である訳なのです。

 

 

この状況を防ぐ方法はいくつかあります。

1つは「資本家」から資産を奪う事です。

2つは「戦争」を起こすことです。勝てば儲けますし、負けても国家が無くなれば、預けられている「国債」も「財産」もパーです。

「資本」は消えます。「資本」が消えれば、格差は無くなります。

 

「ピケティ」は、もちろん、この格差問題の解決方法を本に書いていますので、興味のある方は読まれると良いと思います。 

 

 

「格差」とは、心が寂しい想いをすると言う事ではなく、生活そのものが出来なくなってゆく事を示します。

 

これは大変に危険な事です。当たり前に労働しても、意味が無くなる事です。

かつて「マルクス」は、次のような事を言っていました。

 

「金」(経済)について考えろ。 観念的な考え方を止めろ。

 

これは、マルクスの「唯物論」ですが、私も同感なのです。

今、多くの日本人は、この「唯物論」に立って考えていないと思います。

 

例えば、良い学校に入学して、良い会社に入社して、ブランド化された子供は親の鏡でしょう。

40代ぐらいの世代では、そのプレッシャーを生活の常識として生活させた方々が多い事でしょう。

 

私が「唯物論」を念頭に行動しますと、そんな事はどうでも良いのです。

「金」(経済)を念頭に生活を考えてゆくので、進学は二の次になります。

 

例えばですが、「派遣」という制度が流行るなら、真っ先に「派遣会社」を作ってあふれる人員を募集すれば良いはずです。

そこに「金」が儲かる事は目に見えています。

「派遣会社」は募集して、人員を派遣するだけで、お金が入ってきます。

これは「金」を重点において行動した場合の例え話です。

 

この「金」という経済を基本的な生活感とした「唯物論」と、観念的な世間体である「良い学校に入学して、良い会社に入社して」と言う考え方とでは、どちらが実生活にゆとりがあるでしょう。

 

実際、私の会社へも多くの高校生以上の学歴の方々が「派遣」として面接に参りました。

そうなりますと、「良い学校に入学して」学歴を得ましても、会社部署内の学歴のない方々に使用される事になりました。

私は、現実を実感する訳です。

 

この話は、普段の生活においても同様に起こる事なのです。

いわゆる「世間体(せけんてい)」で、観念の世界で呼吸を続ける人達は、新自由主義の中では、気が付かない間に淘汰されてしまうのです。

否応のない格差の中しか生活を見いだせなくなる危険性があるのです。

 

 

マルクスが言うように、「金」(経済)を生活の基礎として考えていれば、極力は「不」に陥る事を防ぐ思考が出てきます。

 

多くの方が現実を直視する感覚である、マルクスの「唯物論」を少しでも思考にいれてあれば、今回の投稿である「新自由主義(ネオリベラリズム)」に対して、抵抗ができる気がする今日この頃であります。

 

今回は以上にしたいと思います。

最後までお付き合いいただき、有難うございました。

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