19歳フリーター、デモ初企画  反戦運動 そうですか。

 

こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。

今回は「日記カテゴリー」にて投稿したいと思います。

最近、戦争ネタばかりです。

さて、こんなニュースを見かけました。

 

「19歳フリーター、デモ初企画 戦争怖くてふるえる」

http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/society/society/1-0148682.html

 

そうですか。どうぞ、デモを行って下さい。

良いですね。若い子が色々な事を体験してゆく事は。

 

何となく「バカ」っぽい行動と他方でチラホラ見かけましたが、若い子がやっている事です。

新鮮でよろしい。

 

こうした出来事は記憶に残るでしょうし、参加した気持ちも残るでしょう。

 

田原総一朗さんが、ずっと以前に「安保闘争」に参加していた学生について「もう、理屈なんてどうだっていいんだから。参加している事が楽しいんだから」のような事をテレビで言っていた記憶があります。

そんなもんです。

やがて、別の自我の目が育ちます。

 

私は心理学者ではありませんが、誰でも「私」という「自我」を複数持って大地に立っていると思います。

(心理学的に、この理論あった気がしますが、うまい言葉が出てきません。)

 

図のようにしますと、それは解りやすいと思います。

 

11

 

19歳フリーターの彼女が、デモを行った自我は、彼女の一部分です。

全てではありません。

これから、色々な体験を経て、デモに参加した感覚から生きている答えが出てくると思います。

たぶん、今は感情に一方的な部分があるかもしれませんが、やがて「自我②」が主導権を取ったり、そのうち「自我③」が踊り出たりと、人生が豊かになるでしょう。

(ルフィのギア系に似ています。)

 

 

ちいと、私も少しだけ「戦」に関して申しますと、現状では日本とアメリカは、中国を仮想敵国にしているのでしょう。

ただ、中国の脅威である経済が広がり続ける事はあり得ません。

デフォルトと言う時間を、あちらこちらに逸らしているだけに見えます。

そうしますと、「戦」が起きる気配がしないのです。

(ベトナムあたりで戦火が出る話は別です。)

 

また、日本の軍事化に関しましても、明治以降の「天皇」という神の国を祀り上げる国民が大多数である事はないので、変な方向に引っ張られる事も無い気がしております。

彼女の言う「若い世代が駆り出される」事態も、考えずらいのですが。そんなビッグな「戦」のビジョンが見えません。

 

それに「無関心」という気持ちが選挙で政治家を選んでいるので、今度はその方達が間違っていると思うのであれば、次の選挙で落とせば良いです。

 

まぁ、とにかく若い子が新鮮で良い訳です。

 

しかし「国家」の中で生活しておりますが、「国民」という言葉は怖い言葉ですね。

こういう話になりますと、すぐに「国民として」「国民の意識」「国民が立ち上がらなければ」など出てきます。

「国民」なんて意識している方が、どれほどおられるのでしょうか。

「国民」って何だ。

 

人間は、都合のよい場所に落ち着くものです。

 

だから、安易に誘導されるきっかけとなる「国民だから」のような言葉は危険に感じます。

 

まずは「個人」を理解した人間が、「国家」という言葉を扱ってほしい今日この頃です。

 

今回は以上にしたいと思います。

最後までお付き合いいただき、有難うございました。

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