最強の爆弾「ツァーリ・ボンバ」 核爆弾は危ない兵器です。

 

こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。

今回は「日記カテゴリー」にて投稿したいと思います。

最近、やや投稿している状態です。

しかし、レポートは沢山書いています。

そうです。毎日会社にて報告書を沢山書いています。

 

私も年齢を重ねて、不思議な心持ちになる事が良くあります。

前回に投稿しました「東条英機の頭が叩かれた瞬間」ですが、何故か当時の状況を映像ではなく、普通に気分を感じるようになりました。

これは、年齢のせいであると思います。

 

戦前の人々の感触は、その人情も街並みも、同じに感じるのです。

毎朝、通勤途中の街並みにも、半世紀前と同等の感触を受けるのです。

 

そんな感じで現代を生活しておりますが、半世紀前も現代にも、誰もがすぐに共感できる悲劇的な産物がございます。それが、原子爆弾です。

原子爆弾は、だんだんパワーアップしてゆきます。

そして、水素爆弾が生まれました。

その水素爆弾の最大級の威力を持つ爆弾が、ソビエトで生まれました。

 

その名は「ツァーリ・ボンバ」です。 

 

 

凄すぎて、びっくりしてしまいます。

 

1961年10月30日に実験された映像です。

広島型原子爆弾の3300倍の威力を持ちます。

 

こんなもの作り続けたら、人類は滅んでしまいます。

ただ、人間の神経という物は、こうした危惧を超える感覚を有しております。

 

それは、誰もが「自分の都合の良い場所に落ち着こう」とする傾向があるからです。

前回の投稿で少しだけ書いた事ですが、戦前は、世の中が悪ければ「天皇陛下」を奉ろうと考える訳です。

私は、これが嫌いな訳です。

「天皇陛下」を奉る理由が「国家安寧」という名目を打つのであれば、何と言う他人事でしょうか。

また、戦時中に「死んで散る」という言葉がありましたが、その中にも「言葉」につき従う、自分の都合の良い場所に落ち着こうとする勝手さに嫌気を感じるのです。

 

それは勝手です。

ニーチェやマルクスが聞いたら怒ります。

 

「お国の為に」という言葉も、その「お国の為に」という言葉に従わせる、そして従う側も、都合の良い言葉です。

 

「自分の都合の良い場所に落ち着こう」としてしまうのです。

 

原子爆弾が平和の為に必要であると言う感覚が普通になれば、それを持ち得るようになります。

そして「仕方ない」という言葉が流行れば、使用する傾向も生まれ始めるのです。

 

核兵器は威力があり、危ないと感じる人がいるのであれば、それが通常の認識であると思います。

爆発するのですから、危ない物なのです。

 

 

「ジャック・デリダ」の所で投稿した内容ですが、誰が始めたかも解らない世の中の論理が、テキストが配布されるよに動き続けるのが世の中です。

 

誰かが「核兵器」の通用性に触れ始めたら、言葉が勝手に「平和」と結びつく可能性もある訳です。

「とりあえず」と「仕方ない」などが接続詞のように働き、不幸をも幸福の言葉に置き換える、個々の人間の勝手な感覚が始まる事は避けたい部分です。

 

今回は以上にしたいと思います。

最後までお付き合いいただき、有難うございました。

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