ソシュールの「シンタグム」と「パラディグム」について

 

こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。

今回は「言語学」という分野より、「シンタグム」と「パラディグム」について投稿しようと思います。

あまり聞きなれない言葉です。しかし、この思想はソシュールが言語学にて展開されております。

 

「知識を道具として使う」という手段の一つであります。

 

ソシュールについては、何度か投稿しております。特に、「ラング」と「パロール」と言う存在を明確にした事が、後の思想に多大な影響を及ぼしました。

さて、「シンタグム」と「パラディグム」です。

 

「シンタグム」とは、図にするとこんな感じかなと思います。

ソシュールは線上のような言語の結合を「シンタグム」としていました。

言語というものは、お互いに意味の違う同士の「差異」により明確になります。

図では、黒い棒にそれぞれの色を示した、意味の違う同士を表しています。

 

image

 

言語は、「シンタグム」という形が整って、意味を持つ存在になります。

 

さて、「パラディグム」です。

これは「シンタグム」に対する付加価値のような物と考えて良いと思います。

 

「シンタグム」が意味を持って私達の前に現れて、様々な要因が更なる意味をつける事になります。

 

例えば、私のブログ内にて「神様カテゴリー」が人気であります。

もともと、「絶対的な力」のような概念を表現しているのが「神様」であります。

 

そんな「神様」は「創造神、破壊神、維持神、衣食住の神様、太陽の神様」等にカテゴリーとして分類できます。

このように、「神様」は各カテゴリー化できる訳でして、この「絶対的な力」に対して潜在的にまとわりつくように意味として、カテゴリーとして現せるのが、つまりは「パラディグム」というものになります。

こうした「パラディグム」を思い描けば、色々な「パラディグム」が見つかるでしょう。

早く遠くに行こうとすれば「車」があり、「車」には様々な種類である、カテゴリー化できます。これは「パラディグム」です。

このように私達の生活の中に現れる意味というカテゴリー体を、個人であるパロールが選択を行い、さらに意味をつけた行動として、日常に表現されているのです。

 

 

今回は以上にしたいと思います。

最後までお付き合いいただき、有難うございました。

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