私が思う「アラハバキ神(荒脛巾神・荒波々伎神)」そして東北地方の平和

 

こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。

今回は、アラハバキ神(荒脛巾神・荒波々伎神)より、東北地方の平和について投稿したいと思います。

 

すでに、東日本大震災から数年が経過しております。未だに、復興が成されたとは言えない状況です。その土地で生活を行おうとする方々の心労は言葉にはならないでしょう。

日本には政府がございますが、いかに機能したのでしょうか。

民間の皆様の寄付金は、いかにしてご活用されたのでしょか。

本日は建国記念日であります。

そうした日に、改めて思うことを投稿しようと想いました。

 

私のブログ内より、以前に少しだけ「アラハバキ神」の名前を出した投稿が御座います。

「府中の坪宮」という投稿でした。

http://mahakara.blogspot.jp/2014/09/blog-post_51.html

 

関東地方には、東北や西日本方面から人が流れていることも以前に書きました。

その為に、色々な神様を見かけるのです。

そして、神様を祭った方々の分だけ、歴史があるのです。

 

日本で古い神様として、アラハバキ神(荒脛巾神・荒波々伎神)がいらっしゃいます。

東北を中心として現れた太古の神様です。

 

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こちら画像は、「国常立尊」を祭った神社で武蔵国二宮である「二宮神社」に祭られているアラハバキ神(荒脛巾神・荒波々伎神)です。

 

アラハバキ神は、やはり各地に今もいらっしゃる太古の神様です。

私がアラハバキ神を強く思うようになったのは、東日本大震災以後の事なのです。

 

私は、震災後の復興がこれほど遅れるとは思っていませんでした。

あくまでも、日本の国内で発生している事実でありましたので、その後の復興があまりにも酷く、進まない現状が不憫であるのです。

本当に、人が人とて機能している国家と言うものであろうかと、私ながら思ってしまうのです。

太古の先人達であれば、どのような感覚で復興を成しえたのであろうか。きっと、現代人とは違った「感覚(sence)」を道具のように扱ったであろうと感じるのです。それは、「研ぎ澄まされた」と表現したほうが良いかもしれません。

 

私は、東北地方を歴史的に、やはり日本の中心のひとつであると思いました。

日本地図上でみれば、それは人体で言う所の「肺」の部分にあたるでしょう。

 

東北地方の復興が成されないと、日本が元気にならないと感じていました。

その際に、私はアラハバキ神を強く思うようになったのです。

 

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アラハバキ神社のとなりに「絵馬」が飾られていました。

こうした心の交流は、心に染みるものです。

 

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非常に小さいに神社ですが、支えとする方々が沢山いらっしゃるはずですし、故にですが、私は「平和」をそこに携えようとします。

(実は、この写真を撮る際に、一応アラハバキ神様に許可願いをしました。しかし、撮った後に、嫌な感じに襲われました。再度、私がブログを投稿しており、「平和」へつなげる為に投稿しますと改めて手を合わせました。すると、嫌な感覚は消えて、穏やかな感覚になりました。)

 

どんな方でも、感覚というものを持っています。そして、人間は感覚を言葉として現す事が出来ます。

ところが、私が危ぶむ環境がございます。

感覚を度外視して、言葉が優先されるのです。

それは、傍から見たら「礼節」や「美」などの表現として現されるかもしれません。

しかし、言葉が優先されれば、復興が滞る東北の現状を「計画的に勧めているが、結果として現在の状況である」という表現に完結する事ができます。

 

アラハバキ神は太古の神様であり、それこそ私達が太古の過去に、自然の中で生きる上での感覚を大切にしていた頃の神様であります。

まさに、この太古の先人達と同様に、今、流れる時の中で私たちが知覚する現実を、様々な方々が同一の感覚として、言葉として表現する時、大きな力になるでしょう。

 

例えば、ベトナムの「ホー・チ・ミン」がベトナムを統一しようとした時のようにです。

ベトナムは独立を目指して「インドシナ戦争」で「フランス」を倒し、その後にやってくる「アメリカ」をベトナム戦争でやっつけました。

エネルギーという物は、そこに暮らす方々の感覚が共鳴して、ひとつの言葉を選んだときに、強い動力となります。

 

私はアラハバキ神を、多くの方々に知ってほしいのです。その事もあり、投稿しました。

私達のご先祖からDNAに語り継がれている感覚の中に、きっとこちらの神様はいらっしゃるでしょう。

そして、数年前に発生した東日本大震災と同様の自然災害は、幾たびも過去の先人達へも襲い掛かったでしょう。

そして、その後を作り出す為に尽力を合わせて、世の中を作り上げるのです。

そうした感覚は、同じように私達の中にあるはずです。

同じように、アラハバキ神は現在も祭られているのです。

 

東北の復興と平和の為に、無理に資財を費やす必要はないと思います。同様に、現地に赴くことも必要はないと思います。

私はただ、どうか「東北の平和」という言葉を多くの方々が持ち得ていただければ、そうした感覚は言葉となって動力になると思っております。

不思議な事ですが、あなたが動かずとも、別の何かが動くでしょう。

別の何かと別の何かが合わさって、別の動力になるでしょう。

言葉の力とは、そうした事象です。

 

はやく、東北にて復興が完結をみるように、「平和」が訪れるように、建国記念日に同様にお祝いができるように、はやく元気になるように。

私的な思想ですが、東北が元気にならないと、日本は元気になりません。

 

 今回、私は太古より日本におられて、我々の遠い先祖達と身近な存在であった「アラハバキ神」を紹介させて頂きました。

日本の国土の平和には、皆様の力と同じく、本来は当たり前のようにいらっしゃった神様が必要である気がするのです。

又、先人達の魂も必要です。

このような歴史を一致として身にまとう事を「感覚」とする行為は、私のひとつの願いでありますし、それはきっとひとつの言葉となり、平和を作り出す契機に、動力になるでしょう。

 

今回は以上にしたいと思います。

最後までお付き合いいただき、有難うございました。