アラン芸術論 「舞踏」

 

こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。

今回は「アラン思想カテゴリー」にて投稿したいと思います。

芸術内容は「舞踏」についてです。

 

さて、アラン的には、人間はその体から、自然と二つの言語の形態を持っていると言います。それは「身振りと声」であるそうです。

ここではそのうちの身振りについて説明をしてみます。


アランは、芸術を「言語」として捉えていこうとするなら、そのもっとも強い言語が「行動」であること言います。

行動するとは、意味をあらわすことである。

歩くと言うことは、どこかにいくことであります。

鳥は、一羽が飛べばみんな飛び立つ。この場合、理解するとは「模倣」、つまり真似ることである。人間は模倣からはじめる。行動と行動の間、感情と感情の間、つまりそうして社会が成立しているのであると、アランは言います。

 

ここで問題になるのが何故、その行動が逃げることなのか、なにが危険なのかという意味をあらわしていることであるでしょう。どうやって行動を描いた物としての身振りが対象を指示するようになるのか。アランはここで「絶対言語」と言う言葉をつかって次のように説明します。

「言語にはひたすらそれ自体を対象とする部分があり、言語が思考の全部てをしめてしまう段階がある。理解するとは単にコミュニケ-ションが成り立っていることを知るにすぎず、それ以上を求めずに模倣することなのである。模倣し、かつ自分が模倣されていることを知ることである。」*(アラン芸術論54ページ 1行目~5行目)

そしてアランはここでさらに記号「しるし」を用いて説明します。


この模倣が純粋な最初のしるしなのである。それ自体意味がなく、出ていって帰ってきて交換によって確認される。これがおそらく社会の絆であり、社会を成り立たせている物である。


もっと解かりやすい説明をしています。子供が母親から微笑みを理解する時、その微笑み自体はなにを意味するのかがわからなくとも、とにかく子供は微笑みをおぼえます。それは何故かと言いますと、母親の中に自分の微笑みを見つけ、自分がそのしるしを理解したのを感じるのと同時に、自分がそれを送り返したのを感じるからだそうです。

大切なことは、しるしというものが持続的な交換によって刻み付き、固定されると言うことです。

 

これは身振りの特徴であるとアランは言います。さらに子供は言語を学ぶとき、まず身振りを学ぶように言葉を学び、そこに飛び交う声という物はただ相手の言葉を、そして自分自身にも聞こえるようにしているという点において助かっているだけで、第一の目的は、しるしを発見することなのであるとしています。


すでにご承知してきていると思いますが、この記号である「しるし」は次第に規則づけられ、そして何重にも重ねられて社会成員としての存在が生まれると、アランは見ています

抽象的なこうした絶対言語は、例えば寺院もそうですし、大聖堂やモスクなど、絶対的なしるしのひとつであると言えるのです。


さて、身振りの概念をまとめたうえで、舞踏とは何かと言うことを説明できます。

アランは三つ、その要素を上げられています。


 舞踏にはリズムがあり、その根元は生、つまり呼吸や血液循環である。一つ一つの肉体の動きは静と動がある。アランは労働の法則と言っています。このリズムをもっと広くとれば、リズムとはあらゆる共同作業の法則なのだそうです。ここでリズムを定義すると、巡ってくることが期待された、規則正しく配置されたものであるそうです。大勢の人がそろって踊るとき、踊りは足音によって規則づけられている。太鼓の音も手拍子もこの場合、体には足音をより明確にする事以外の何物もないと言えるのです。

 

第二の特徴が調和だそうです。もちろん、筋肉的な物として。

一つの姿勢から次の姿勢へと正しい調整、形の回復、運動そのものの中に休息をさがすのであるそうです。舞踏は自己に対する労働であり、ひたすら体を操作して休息と平衡の法則に従って様々な姿勢を見直す事なのであるとします。こうした、労働という物は、情念に規律を与える物であると、アランは言います。

第三の特徴が、感情に関わることです。社会的な楽しみ、予感の確認とか、信頼とか、要するに絶対言語において同類を理解することであると言います。

人間の情念が他人に伝達するのは、筋肉の群のおかげであるそうです。先立つ動きによってこそ次に続く動きが規則づけられ、情念が収まる。つまり、痙攣的動揺を持ち合わせているのであるとしています。

 

ざっと「舞踏」の特徴と、アラン的な「記号」、その記号が生まれてどのように人間に作用するのか。

大まかに、こうした事が上げられるのですが、「へぇ一」と思って頂けると有り難いのです。

いかにも、哲学的な言い回しですし、現代的な要素も見え隠れします。

こうしたささやかな知識が、人間を豊かにするものです。

 

今回は以上にしたいと思います。

最後までお付き合いいただき、有難うございました。

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