「光明真言」 私が思う意味



こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。


今回は「光明真言」について投稿したいと思います。

光明真言とは、仏教でトップにある神様である「大日如来」のご真言です。

どんなご真言かと言いますと、

「オン アボキャ ベイロシャノウ マカボダラ 

  マニ ハンドマ ジンバラ ハラバリタヤ ウン」

 

と、少し長いご真言になります。

さて、詳細な意味は別のサイトで詳しく書かれている通りです。

(また、手抜きをします。)



元々ですが、インドで「仏像」などを作成する文化は、他の文化の影響を受けて入ってきているようです。

始めは、ギリシア?だったかな。「壁画」のみであった芸術を掘り始めます。

最古の彫刻が、お酒の神様「バッカス」であるそうです。

こうした芸術文化がインドへ流れてきたようです。

もちろん、アーリア人からインド全土へ文化の流入も欠かせません。

こんな流れと、インド独自の哲学が融合して仏教となったのでしょう。


やがて中国をへて、仏教が日本へ伝えられました。

私は、仏教は「般若心経」で完結すべき!と思っているので特に「光明真言」についてはあまり興味はありませんでした。


ところが、色々なサイトで「すごい威力だ!」とか書かれていたので「本当か?」と
思ってしまい、覚える事にしました。(ずーーと以前ですけどね。)


ところで、これを覚えた所で、私に何の高徳があるのでしょうか。
(いや、あったのでしょうか。)

サンスクリット文字(梵字)には「神」の文字のごとく、力がある・・・
かもしれません。

私がよく足を運んだ(最近行けないので・・・)ネパール料理店で出されるご飯です。


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確か、メニューにおもいっきりサンスリット語が書かれていたような。

すると、このご飯には偉大な力が宿っていたのか。

いや、そんな事はないでしょう。(あったりして。)


私は、霊界のような場所がある気がします。気のせいですが。

もしも、光明真言を唱えようと思った事があるのでしたら、
あなたは「大日如来」と何らかの関係があるのかもしれません。

と言いましても、例えば霊界に「大日如来同好会」のような物が
御座いまして、そのような「ご縁」の中に、あなたがいたのかもしれません。

もしくは、親友や親せきに「大日如来」に関係するご縁があり、
知らずに光明真言に出会っていたりしたのかもしれません。

私は、そのような見えない「ご縁」があって、「光明真言」を覚えたのだと
思っています。

決して、「偉大な力のため!」とかではなく、見えない「ご縁」とのつながりが、
こうした「ご真言」につながったのだと思います。

結果として、「光明真言」を覚えた所で、私の場合は別に何が起こる訳ではありません。

ただ、私が何かのご縁で、とっさに「ご真言」を思い出して口にするならば、
口では「ご真言」を唱えていても、別の意味を口にしているでしょう。

 

「オン アボキャ ベイロシャノウ マカボダラ 

  マニ ハンドマ ジンバラ ハラバリタヤ ウン」

 

話してはいるが、意識はこんな感じです。

「このご縁に感謝しております。この空間(周囲)が美しく輝き続けますように」

こうした意識は、その場面ごとに変わって唱えます。

「私に関係する有り難いご縁よ。どうかこの局面を照らしてください。」などです。

これを「ご真言」を話している口に「上乗せ」しているのです。

本来は、ご真言の使い方としては間違っているのかもしれません。



しかし、「ご縁に感謝する」気持ちの表れが、私の場合は第一にあります。

それは直接に神様だけに通じようとするものではありません。


私を取り巻く、その「ご真言」を覚えるきっかけになった見えない「ご縁」に
感謝しているのです。

ただ神様の名前やイメージを描くのではなく、見えない「感謝」を通じて
その全体にアプローチする感じです。その方が、「身近か」なんです。

あくまで、これは「我流」であります。


他のサイトで「強大な力が手に入る!」のような事に興味があるのでしたら、
あなたはその「ご縁」があるはずです。

(例えば、光明真言を唱えながら「大日如来」をイメージして、「大日如来」と
一体になれたら・・・等です。)

不思議なことですが、確かに「大日如来」のマントラは有効です。


「オン、アビラウンケン」ですが、体の痛みがある部分に対してマントラを続けた所、痛みはなくなりました。

不思議でした。気がつくと、別の箇所が痛くなりました。

痛みの腫れた部分が移動して腫れていたのです。

こんな変な事も、体験はしていますので、何かあるんだなとは思っています。

ただし、何でもかんでも、「光明真言」を唱えれば良いと言うものではありません。



私は夢の中で悪党に追われた夢を見た時の事ですが、その時はとっさに不動明王の真言を唱えました。

しかし、悪党は「?」のような態度でした。

解らない人にはわからないのです。お経を唱えても、死んだ人が理解できるのでしょうか。

ご真言は、それを理解される方とのつながりの中にあると思っています。

そのつながりは「神様」であるし、「眷属神」であるし、ご先祖様であるし、「大日如来同好会」のような、その方々特有のつながりの中にあり、その「広がり」であると思います。

今回は以上にしたいと思います。

最後までお付き合いいただき、有難うございました。