こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。
今回は、デズモンド・モリスの言葉で「ふれあい」について投稿したいと思います。
これまで、「哲学カテゴリー」ではソクラテスに始まり、言語学や文化人類学等の投稿を行ってきました。いずれも、「知」という物に関わる、言うなれば「客観的」な見方を展開してきました。
それは「構造」であり、「構造」を知ることが、「悩み」や「疑問」を解決する手助けになる「道具」になりやすいからです。
今回は、その位置から少し離れて、もっと人間に近づいた投稿をしたいと思いました。
まぁ、とっさに頭に浮かんだ事でして、デズモンド・モリスの著書(ふれあい―愛のコミュニケーション)を読んだ訳ではありません。「こんな事を言っていたな?」程度なのですが。
「レヴィ・ストロース」の文化人類学の投稿で、「文化は相対する文化を排除する構造がある」とご説明した事を覚えていて頂けたら有難い事なのですが、相変わらず、世界のあちこちで紛争が絶えません。
「紛争」を起こす人達には、それぞれ確実な理由があります。しかし、「武器」を手にして解決を模索すれば、また「武器」をもった別の解決者に脅かされます。
ガンジーが武器を持って戦わなかったのは正解でした。
さて、ガンジーはどの部族と戦っていたでしょう。そうです。イギリスです。
インド人とイギリス人は違いますが、お互いに理解し合えます。
その為、とりあえずは「いくさ」は終わりました。
知識という道具は必要ですが、人間が実際に「手と手を取り合う」(皮膚と皮膚が触れ合う)という行為も非常に重要です。
例えば、人間の欲求で大きい物は食欲や性欲になります。
ともすると、それは「いやしい」言葉に聞こえます。
ただ、この欲求はいずれも「人間の皮膚」を通過してゆくものです。
「生まれた子供をなめてやらないのは、哺乳類の中で人間だけ」とデズモンド・モリスは言っていました。
人間は、その誕生から老いるまで、本来は「ふれあい」が非常に重要なんです。
「猫」や「犬」を複数匹ですが世話をした事があると解るのですが、遊ぶ時は常に「抱きあったり、乗っかったり、噛み付いたり」と、人間がテレビゲームをして遊ぶ行為とは違います。
人間は、客観的な道具(計算や、構築方法等)の欲は「いやしく」は聞こえないのですが、「皮膚と皮膚が触れ合う」というと、いやらしく感じます。
しかし、子供の頃は「親」に抱かれて、自立すれば他人を抱きしめ、「皮膚と皮膚が触れ合う」時間を大切にします。
「ふれあい」は、本来は空気を吸うのと同じくらい自然な事です。
私は、極端ですが、この「ふれあい」である「皮膚と皮膚が触れ合う」という感覚は多くあって良いと思います。
と言うのも、例えば「モード」(流行)などに囚われて、身動きが出来ずに苦しむ人達が沢山います。
当時でしたら、「太平洋戦争」です。本当に問題なのは、その「モード」に終焉を用意しきれていなかった事です。
その為に、戦後に心から終戦を迎えられない沢山の人が、継続して「モード」の中に閉じ込められていました。
私の世代では「受験戦争」です。今をもって、その恐怖から抜け出ていません。
それは私自身だけの問題ではなく、その周囲も関係している事です。つまり、「受験戦争」という「モード」に、終焉を用意していないのです。
今をもって、「学歴社会」を脱する事ができません。
「ADHD」などの問題を軽く見てしまいます。本来、人間が保護するべき問題が確認できずに進みます。
「モード」に終焉がない為、「モード」内の人間には暗闇しか見えません。
呼吸は浅くなり、視界は細くなり、文字を書く力も薄れています。
それでも、「モード」の体系内ではそれを「日常」として生きねばなりません。
それは「引きこもり」の人はあふれるでしょう。何故なら、自己で解決したい気持ちがあふれていても、ずーっと周囲はそれを否定して、気がつけば、個人には、もはや世の中を生きる「肉体的機能」や「社会意識」等が滅しているからです。
なんという孤独を感じることでしょう。それでも「モード」は続きます。
つまり、「地獄」です。
この「地獄」は客観的な「モード」が作り出した終わりなき「歯車社会」です。
しかし、この「モード」という知識は知識にすぎず、人間には「皮膚と皮膚が触れ合う」本来の在り方、「ふれあい」があります。
人が人と「ふれあう」事が頻繁に起きていたら、「学歴社会」はどうなっていたでしょうか。「就職氷河期」は、社会はどのように対応したでしょうか。
私達の世界には、まず初めに「人間」があり社会を作ります。
それは「カント」の投稿でご説明しましたが、「主体」の世界と「客体」の世界があるからです。人間はこの世(客体)で生きるために、「主体」となる世界、つまり人間社会を作っているのです。
そこでは、人は手を取り合わなければ、社会を、つまり生きる場所を作れません。
どうぞ、他者との「ふれあい」を今以上に大切にしてください。
今回は以上にしたいと思います。
最後までお付き合いいただき、有難うございました。
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