トルストイの手紙

 

こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。

今回は「トルストイがガンジーに宛てた手紙」について投稿したいと思います。

 



あなたの雑誌「インディアン・オピニオン」を受け取りました。

そこに書かれている無抵抗主義の人々のことを知り、喜んでいます。

そこで私の心に生まれた考えをあなたに聞いていただきたくなりました。

それは「無抵抗」と呼ばれていることは、愛の法則に他ならないということです。

愛は人間の生活の最高にして唯一の法則であり、このことは誰でも心の奥底で感じていることです。

私たちは子供の中にそれを一番明瞭に見出します。

愛の法則はひとたび「抵抗」という名のもとでの暴力が認められると無価値となり、
そこには権力という法則だけが存在します。

ですから私はこの世の果てと思われるトランスヴァールでのあなたの活動こそ、
現在世界で行われているあらゆる活動の中の最も重要なものと信じます。


美しい言葉がつづられています。

ガンジーが無抵抗運動を展開している時に、トルストイが書いた手紙になります。

私は、この手紙をNHKが放送していた「映像の世紀」の中で知りました。

 

私は、人の「意識」や視野は、常に本人が留めようとする所に落ち着くと思います。

人間は、ある時は「無慈悲」に人を傷つける事を悪いとは思わない時があります。

人間は、「ボランティア」などの活動に積極的になる時があります。

人間は、自分を追い込んで真理を得ようとする時があります。

人間は、都合の良い体制にのめり込んだり、欲に縛られたりします。

人間はこの時、この場所の視野しか見えていません。

 

人間は、意外と「意識」をたどり着かせる場所を見落としています。

「意識」というものは、その場所に落ち着くと、その視野しか見えなくなるのです。

その視野から見える光景は、ちっぽけではない為、全体と思い込みます。

人の心は安易に、それでいっぱいになるのです。

 

あなたが、どんなに聖人であっても、苦しいほどに、気がつかないほどに、意識は思ってもない視野を見せている時があります。

例えば、戦時中、日本では「八紘一宇」と意識を置いても、その視野が正しかったか解りません。

あなたが、どんなに「愛のかたまり」の人であっても、その愛を守るために武器を手にすると、別の視野の元に、別の意味が織り成す世界が作られます。

「愛の法則はひとたび「抵抗」という名のもとでの暴力が認められると無価値となり、
そこには権力という法則だけが存在します。」より。

 

だから、「意識」を知っていただきたいのです。

「意識」は常に、あなたが意図する場所に定着します。それは意外と安易にです。

そして、視野は、その世界をあなたに見せ、あなたの心はいっぱいになります。

 

故に、意識を簡単に見てはいけません。

例えば、あなたの職場が攻撃的な人や、人の行いを省みない方達がいるのなら、その方達の意識は、その世界に定着しているのです。

あなたがその方達に道徳を諭しても無意味です。その方達の視野には見えないのです。

 

人の意識は、失敗を経験した時や、悲しみを思えた時に、シフトしようとします。

それは、意識がその場所にいずらくなるからです。

 

困ったことですが、それでも固定された世界を押さえつけようとする親や、教師がいるでしょう。

そうなると、意識は萎縮して動きをやめます。限られた自由を求めて、自分の世界に入り込みます。

 

だからですが、「意識」を軽く見ると、色々と厄介なのです。

 

私は、少しでも「意識」の定着する場所を広げておいて、視野を広げておきたいと思っています。

それが、「自分」という存在を助けてくれるでしょう。

かたよってしまうと、取り返しがつきません。

 

ちなみに、ガンジーは「いじっぱり」の人だったと思います。

(私が思っているだけです。)

だから、心の意地が「非暴力」になったと思います。

ガンジーは、その活動に身をおいて良かったでしょう。意識が正しくその場所にあったからです。

 

私は今、自分の意識を置くべき場所を見定めています。

ただ、「この世の果てと思われるトランスヴァール」までは心が走りませんが、かと言って、現在のトランスヴァールは「南アフリカ」の一部でして、同様に他人の集合意識に飲まれてたくはありません。

 

今回は以上にしたいと思います。

最後までお付き合いいただき、有難うございました。

 


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