こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。
本日は「思想カテゴリー」にて投稿します。
さて、日本で止まらない「死の事故」の中に「自殺」が上げられます。
「自殺」には様々な環境、そして要因と自殺に至る「種類」がある事でしょう。
ただし、目にあまるのが「若者」による「自殺」です。
「自殺」には理由があります。
「自殺」された方には、その「道」しか見えなかった事でしょう。
私は「家族」が悪く、「相手」が悪く、亡くなられた「方」が悪いと答えてしまいます。
一番に悪いのは「家族」です。
同情は致しません。
「自殺」された方は、どんなに辛くとも「家族の心配」を一番に考え、「愛」の果てに「自殺」を選んでいるのです。
「自分」を大切にする事を教えているならば、必ず「助けを呼ぶ」行動を起こして逃げます。
しかし「自ら命を絶つ」という行動を行っています。
これは「逃げ場がない」という「概念」が与えられているからです。
ここに「画像」があります。
ほとんどの方は、この画像を「家」か「建物」であると解るはずです。
この「家」の「窓」や「ドア」、そして「庭の色」などを連想できます。
このような連想は「人間」だけの特権的な能力です。
特権的な能力は「言葉」を扱える事です。
「言葉」を持って「家だ!」と反応できるのです。
だから、私達の世界は「言葉」であふれている事になります。
こうした「全体的な言葉」を「ラング」と呼びます。
この「ラング」を見ているのが、私達という個人です。
私達は、それぞれに個性を持っています。
その「感覚」と「精神」は、みんな違っています。
こうした個人を「パロール」と呼びます。
「パロール」は「感覚(シニフィアン)」と「精神(シニフィエ」)」を持って生きています。
この「個体」である「パロール」が、世界と言う全体的な言葉である「ラング」の中に組み込まれて生活をしています。
「ラング」というのは「一般共用言語」と説明されます。
だから人間は、どうしても「世の中の景色」が正しいと思い込んでしまいます。
「全体(ラング)」に「個人(パロール)」が組み込まれて、世界が成り立っているからです。
ただ、絶対に間違ってはいけない大切な部分があります。
「全体(ラング)」は「個人(パロール)」によってのみ、「変化」が可能である。
だから、世界は常に「変化」を発生させて成長を続けるのという訳です。
次回に続きます。
最後までお付き合いいただき、有難うございました。
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