こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。
本日は前回の続きになります。
さて、インドの「ヒンズー教」では「シヴァ神」が無くてはなりません。
その理由は「破壊」と「再生」を司る「最高神」であるからです。
photo credit: SivaThaandava Stotram : "JataaTavee Gala Jjala , Pravaaha Paavitha Sthale GalevaLamhya Lambithaam, Bhujanga Thunga Maalikaam Dama Ddama Dama Ddama , Ninnadha VaddaMarvayam Chakaara Chanda Thaandavam ,ThanothuNa Shiva Shivam " via photopin (license)
私達は忘れがちですが、最も大切な事は「継続」よりも「破壊」なのです。
「継続」すべき日常の「規範」は、守らなければなりません。
しかし、その「継続」すべき「規範」は、時代を生きる私達という「個性」が常に同じでない為、その都度に「時代に応用させる」事が必要になります。
こうして「規範」は時代を超えて守られてゆきます。
だからこそ、「すでにある(現実物)と日常の比較」を適度に守り、息切れしてしまう事がないのです。
ところが現代は、「すでにある(現実物)と日常の比較」を往復するだけで、息切れしてしまうのです。
そんな、私達が歩む日常世界の出来事ですが。
その一面の雲行きが悪くて、視界がさえぎられる事があります。
では、別の一面に目を向けましょう。
やはり、雲行きが悪いようで、視界が悪くなります。
動けば動くほどに、視界は悪くなってゆきます。
人間として生きていても、その「生きる事」に罪悪感が出てきます。
普通に生きたいのですが、普通に生活を送る事が出来ません。
「病気」は絶えず、体を巡り始めます。
「怪我」も、お友達のように出くわします。
他人への批判が絶えません。
もう、そうした言葉以外に発する機会がありません。
新しい行動や、新しい「物」を創造する事が出来ません。
かつて「バカ」にしていた「途上国」に追い抜かれてゆきます。
悲鳴の数は絶え間なく、尽きる事がありません。
「ペニー・ピアス」さんの「直感への道」という本より、一部を参考にさせて頂きます。
この図で「在る」と書かれているのが、「海の下」の「精神」です。
そして「する」とは、「日常の行動」の事です。
そして「持つ」とは、「知識」や「物」など定着した物です。
本来、あらゆる行動の「元」は「在る」という「精神」の世界にあります。
その場所は「海の下」でしたね。
この「海の上」の世界で発生する事が「する」と「持つ」です。
「する」とは元々、「精神」である「在る」から発生した事柄です。
創造的な活動や、解決策などの根源は、この「在る」という「精神」の世界にあります。
では、「在る」を無視して「する」と「持つ」だけの世の中になったらどうなるでしょうか。
「する」という行動で「持つ」という「ステータス」を得る事ができます。
この「持つ」は「財産」や「家族」や「友人」や「社会生活」など、とにかく全ての出来事です。
私達の多くは、この「持つ」という事に視野を限定している危なさにあります。
この「持つ」とは、現実化している、様々な事柄ですが、この「持つ」に執着したり、限定して視野を留めさせる事が、現代の「悪行」を生んでいる結果でもあります。
この「持つ」は、それが「規範」であっても、元々は「在る」から発生しているのです。
だから、「在る」という精神に帰らず「する」と「持つ」だけに、生活が「行き来」していたら、どうなると思いますか。
これが、現代の多くの場所で見られる状況です。
「する」と「持つ」だけでは、対処できないのです。
この「する」と「持つ」とは、「在る」という「精神」から生まれているのですから、時間がたてば、「役立たず」になってしまうのです。
時間の概念を少しだけ書きます。
時間があるのは、「今」と「過去」を識別できるようにする為です。
そうしないと、存在に対して区別ができない為です。
「過去」に作られた「する」と「持つ」を、いくら往復して行動を繰り返しても、まったく未来からやってくる現実に対しては、無理があります。
適応が出来ないのです。
だから、ここで「手放す」のです。
「手放す」とは「在る」に戻る事です。
「在る」という「精神」に戻る事が、一番に大切な事なのです。
「する」と「持つ」は、しょせんは「精神」である「在る」から発生した出来事です。
行き詰ったら、一度「手放す」を行います。
これにより、事態は一度「精神」に戻されます。
「精神」は改めて「解決策」を模索します。
その「解決策」は「在る」のです。
そうして「する」という行動に移されて、再度「持つ」という事態になります。
この際の「持つ」は最新であり、解決済みの現実です。
人間の精神をバカにはできません。
ここから、あらゆる事態に対しての世界が広がっています。
決して「脳」だけが主役であるという事ではないのです。
「手放す」とは、今の時間に生きる人間が、良く生きる為に「持つ」という世界を「再構築」する手段なのです。
だから、この「手放す」という知識は、大変に必要なのです。
今回は以上にしたいと思います。
最後までお付き合いいただき、有難うございました。
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