こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。
本日は「日記カテゴリー」にて投稿します。
この標題。
そのまんま「銀河英雄伝説」です。
(https://www.youtube.com/watch?v=Sken4RHX9FY&list=PL96EC4F0460E1CD89&index=2 引用)
昨年の今頃(正確には先月でしたが)戦争関連の投稿を行いました。
私には、何故に「頭の良い人ばかりの集団が戦争を行ったのか」という疑問符が、なかなか取れきれません。
だから、終戦の季節になりますと、その事を思い返してしまいます。
昭和5年に発行された書物に「一九三〇年世界経済恐慌. 第1輯」というのがあります。
何となく、「文面」や「目次」を見て頂けると解るのですが、これで約100年ぐらい前の書物なのです。
(http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1178935 参考)
各国の「世界経済恐慌」に関する事実について書かれているのですが、そのスタイルは現代でも通用する、つまり遜色(そんしょく)はないのです。
経済に対する分析が、バッチリ出来ているのです。
そりゃ、当たり前だろ!と思われるでしょうが、だから「現代人」と変わる所がないように感じるのです。
現代人と同じようにメディアが働き、その文面も「ワクワク」するような、好奇心を駆り立てる内容が並ぶ訳です。
おそらく、私達が現代において「アベノミクス」を通じて、日本を考察する感覚と、それは変わりがないのです。
さて、昭和7(1932年)に出版された「アメリカは日本と戦はず」という本があります。
(http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1453896 参考)
この本が面白いのは、戦争が勃発した「1941年」より「9年前」に発行されている事です。
「日本」が、このままでは「戦争」になっても不思議ではないのだよ・・・と書かれています。
その「目次」から見ても、お分かりでしょう。
普通の書店に並んでいる「本」の感覚なのです。
そんな感じで、書かれているように見受けられます。
さて、昭和8に出版された「一九三六年の危機と米露の脅威」という本があります。
(http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1455112 参考)
当時の日本人の多くが、世界情勢に対して不安を覚えていた事でしょう。
いわゆる、現代の「戦争テレビドラマ」では、まるで感じない現実です。
「戦時教育家の天皇崇拝」だけではないという事実です。
当時の書物を見る限り、現代人と同じ感覚で各国の情勢と自国の立場を理解している事が解かります。
だから、当時は「危機」を理解できる日本人が多数いたはずだという事が言えると思います。
ただ、こうした「普通」の「認識状態」を覆す事態が発生して行きます。
それは「悲しい」出来事であった事でしょう。
そして「非常事態」という国家体制が築かれてしまいます。
ただし、その「時」と「場所」にいた方々は、その「感覚」も「思想」も「痛み」も「悲しみ」も「無知」も「雄弁さ」も、現代人と変わる所がなかったのです。
今、「ポケモンGO」をやっていたら、突然「B29」が爆弾を落としてくる現実が、当時にあったのです。
そんな無茶苦茶な状況を改善する手立てはなかったのでしょうか。
どうしても、この「問い」に関して、思考を巡らせてしまうのです。
戦争ほど、バカげている状況はないのです。
当時の人々も、その事を理解しています。
どうにもない状態になった時に、戦争は起こす事になります。
正義も悪もあったものではありません。
戦時中は「非日常」であり、「非日常」の作業をしなければなりません。
異常の空間が張り詰める訳であります。
「銀河英雄伝説」でも言っています。
「時は移り 所は変われど 人類の営みに何ら変わることはない」
現代人と同じ感覚を持ち、そして世界情勢も理解した人達が多数いた日本において、「非日常」という戦争へ突入する事になります。
当時の方々が防げなかった「苦難」を、現代人が簡単に防げる訳がありません。
「時は移り 所は変われど 人類の営みに何ら変わることはない」
現在に際して、すぐに戦争が発生する問題は考えられません。
ただし、他の場所で「人殺し」が発生し続けています。
戦争によって殺されなくても「非日常」が発生して、「人間」が殺されています。
それは、様々な「格好」を装って展開されています。
私は、毎年の8月ぐらいは、こうした問題に思考を巡らせても良いのではと思います。
それは「危機管理」という意識もありますが、それ以上に「人を想う」という事が大切だからです。
「人を想う」という事は、「過去」と「現在」と「未来」を含めた所を見ます。
そうしますと、大抵は「感動」や「感謝」がよぎると思います。
それ以外の「忌々しい悪夢」がよぎるのであれば、「人を想えていない」と、私は捉えます。
そうした状態は「心」に「雲」がよぎっています。
「人を想う」
そして「自分の心」に意識を向ける。
どうか、周囲の混乱、周囲の思想、周囲の暴動、周囲への手助けの意識、周囲との協力意識の前に、自分に気付けと言われている気がします。
人を想う事で、それは先人達の意識と同調できるはずです。
私達は大切な時を生きています。
だから、可能な限り、少しだけ「工夫」して生きれるのであれば。
どうぞ、皆様方の意識が良い場所へ届き続けますように。
今回は以上にしたいと思います。
最後までお付き合いいただき、有難うございました。
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