「記号的世界観の錯覚」に支配されない様にしたい。②

 

こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。

本日は前回の続きになります。

 

私達は、上手い具合に「全体(ラング)」の中に組み込まれています。

だから「東京駅に集合」と連絡すれば、みんな「東京駅」に集合するのです。

 

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この「全体(ラング)」が厄介なのは、人間と同様に「ぐーたら」な所です。

ちょっとばかりの「個人(パロール)」が改革を願っても、逆に「すっぽかす」機能になっています。

今の体制を維持しようと機能してしまうのです。

 

だから、世の中は「革命」が簡単には進展しないという事になります。

 

前回から「ラング」と「パロール」を使いまして、世の中の説明をしておりますが、要するに世界は「記号的世界観」と言えるのです。

 

「記号的世界観」を、みんなが「現実」と思い込んでいるのです。

 

その「現実という全体(ラング)」は強固で、とても「個人の意思」では突破ができないものです。

その「現実(ラング)」に「パロール(個人)」が「感覚(シニフィアン)」と「精神(シニフィエ」)」を組み込んでいますから、とても離れられないのです。

 

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これが最も大切な部分です。

私達が現実と捉えている日常(ラング)の体感が強いほど、その日常(ラング)に支配されてしまうのです。

組み込まれる事が自然であるので、そこの「時空」の出来事を正しいと認識してしまうのです。

これが世の中を動かしているのです。

これが、様々な悲劇を生み出している元凶でもあります。

それ以外の「世界」が見えなく、解らないのです。

 

 

人間が作り上げた「言語」という「記号」の中に「個人(パロール」)」が組み込まれます。

潜在的に、幾つもの「意味」の中に「個人(パロール」)」が「無意識」に展開されます。

 

(シンタグムとパラディグムが関係していますが、省略します。図も簡略。)

 

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この世界は「記号的世界観」で描かれています。

ただし、描かれた「記号的世界観」は「錯覚」なのです。

人間が「言葉」を使って「東京駅へGO!」と言って、「東京駅」だと認識する「錯覚」なのです。

 

「古いホテルじゃん」と言ったら、「東京駅」は「ホテル」になるんです。

「記号的な羅列」の中にあって、現実を思い込んでいるのが真実です。

「意味」を勝手に与えているのです。

 

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さて、前回の投稿の冒頭で「若い方の自殺」を上げました。

 

若い方で「毎日の学校生活」、そして「家族の理解を得れない」、理解できないと悩む気持ちは良く解ります。

ただし、最も大切な事は「悩んでいる「あなた」が正解!」という事なんです。

 

あなたの周囲の方々は、世界を、ただ「在るもの」としか認識が出来ないのです。

それは「感覚」と「精神」が「全体(ラング)」に組み込まれているからです。

だから「あなたの危機」に、少しも気が付かないのです。

「危機」に対して「想像力」が働かないのです。

ただ「出来上がった機能の中ある」だけなのです。

 

だから、あなたが「助け」を求めても、容易に救われる事はないのです。

あなたの周囲の世界には、あなたを助ける「全体(ラング)」がないからです。

みんな、勝手な「言葉」を並べて、それが「正解」と思い込んでいるだけなのです。

「錯覚」にある事が解らないのです。

 

勝手に「世界」を「言葉」で並べて、それが「問題ない」と思い込んでいるのです。

いや、それ以前なのです。

組み込まれた「錯覚」の中を理解して体感している人が少ないのです。

 

家族も理解していませんし、学校の先生も理解していない。

悪い奴は、悪い奴のまま。

「全体(ラング)」は、その「構造上」にあります。

 

何故だと悩んでも、周囲は、それが間違った「全体」である事が理解できません。

やれる事はやったと言っていても、あくまで「限定的な行動」しか取っていません。

それしか知らないからです。

 

若くして悩む、苦しむ、体重は減り、嘔吐を行い始めて、動くと言う動作が困難なのに、毎日の生活を行わなければならない。

 

両親や先生、友人には「笑顔」を絶やす事ができない。同じ毎日をふるまう必要がある。

そうせざるを得ない。

あなたには「愛」があるから、周囲から離れる事が出来ないのです。

 

それが、苦しくても離れられないから「全体(ラング)」の中に組み込まれるのです。

 

もし、学校が嫌であれば、3年ぐらい休学するか、もしくは辞めてしまえば良い。

いじめっ子がしつこいようであれば警察。

家族に心配が及ぶことを気にかけるのであれば、しっかりと家族に状況を打ち明け、対処する。

 

家族が機能しないのであれば、ネットでも、親せきでも、内容を打ち明ける。

 

若い方で、もし目の前に「死」を伺うような状況であれば、すぐに逃げる事。

あなたが理解する世界を、あなたほど「周囲」という「世界」は理解していなのです。

 

だから、とにかく逃げる事です。

「引っ越し」や「転向」でも手はあります。

 

恥ずかしい事ではありません。

立派な生きる為の行動です。

 

殺されかけている、こうした状況は異常です。

ただ、異常な状況では、いつもと同じ通常の行動をとっているとターゲットになります。

だから、異常事態では、異常な行動を取らないとマズイのです。

 

とにかく、生きる為の行動が必要です。

自分を助け、他人を助ける気持ちは保って下さい。

そして「良く生きる事」が大切です。

 

今、この目に写る世界は「錯覚」です。

ただの「記号」の集まりの「錯覚」です。

大勢が、そこに「言葉」を持ってきて、いかにも「現実」らしく振る舞っているだけなのです。

 

しかし、個々の現実の影響が強すぎるので「錯覚」である事が理解できません。

それを多くの方々は「正しい社会」と認識してしまいます。

 

みんな「現実」に執着しているから、「別の場所」で発生する「非現実」な悲劇を理解出来ないのです。

 

どうか、若い方は「自殺志願」なんてしないでください。

「もう、道はない」と嘆いている世界感があるなら、それは「限定」された世界感です。

 

そうした「限定された世界」しか、今までの「ラング」に教えてもらえなかったのです。

それは「両親」であり「学校の先生」であり「友人」であるでしょうが、みんな「視野」が狭いのです。

だから、まともな「言葉」をかけれないのです。

悲劇が発生している「現実」に、少しも「想像力」を働かせる事が出来ないのです。

 

実際は、若い方で「自殺志願」を願う方がこれから生きる世界は、もっと広く、「愛」に満ちた場所も沢山あります。

 

だから、今は死ぬ時ではありません。

 

どうか、この世界を変化させてください。

 

 

今回は以上にしたいと思います。

最後までお付き合いいただき、有難うございました。

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