マジノ線における安全神話的思想

 

こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。

今回は「思想カテゴリー」にて投稿したいと思います。

少しだけ「マジノ線」について書きたいと思います。

 

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photo credit: Fort Fermont via photopin (license)

 

「マジノ線」とは、第2次世界大戦の時代、フランスとドイツ国境間に供えられました複合要塞です。

 

フランスはすごい物を作りました。

地図で言いますと、このような国境沿いに複合要塞を建てたのです。

 

地図

photo credit: Europe 1936 via photopin (license)

 

この「マジノ線」と言われる複合要塞を建てた理由は、フランス軍がドイツ軍の進軍を食い止めようとする狙いがありました。

実は、第1次世界大戦時に、フランスはドイツによる被害が大きかったのです。

そこで、戦勝国ではありましたが、隣のドイツを警戒していたのです。

 

要塞は簡単に突破できる物ではありません。

その複合要塞を国境沿いに配置する訳です。

いかに、フランスが「マジノ線」に力を入れていたかが伺えます。

 

 

やがて、フランスが心配をしていた第2次世界大戦が勃発します。

ドイツ軍の進撃は凄まじく、ついにフランスへ向けて進軍を開始しました。 

 

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photo by Bastogne Historic Walk 2011 | SdKfz 250 in Cobru | By: archangel 12 | Flickr - Photo Sharing!

 

フランスは、防備を固めます。

これでは、さすがにドイツ軍も、簡単には進軍ができません。

 

 

しかし、ドイツ軍はある事に気づくのです。

 

「あれ、ベルギーからフランスに入れるんじゃないかな?」

 

地図

photo credit: Europe 1936 via photopin (license)

 

しかし、フランスも手を抜いてはおりません。

しっかり、ベルギー国境沿いにも要塞群を設置していました。

 

しかし、手抜きと言いましようか、フランスとドイツにまたがる国境沿いに展開する要塞線ほど、万全ではなかったのです。

 

そのポイントの場所が「アルデンヌの森」でした。

 

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photo credit: DSCF0512.jpg via photopin (license)

 

 

そして、ドイツ軍は迷わず森を抜けてゆきました。

 

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photo credit: Europe 1936 via photopin (license)

 

フランスが第1次大戦の教訓から作り上げた、強固なる要塞線を、何とドイツは突破してしまいます。

いや、突破と言うよりも、要塞線を迂回してベルギー側から進軍しました。

 

ドイツ軍は一気にフランス領内に入り込み、パリは陥落しました。

 

マジノ線における安全神話的な思想を思い返しますと、不思議さを感じます。

自国の安全を考えれば考えるほど、何故か「抜け道」や「落ち度」を作ってしまいます。

何故か良くある話です。

 

しかし、あっけない結末でした。

 

今回は以上にしたいと思います。

最後までお付き合いいただき、有難うございました。

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