お隣の国で発生している事態について

 

こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。

本日は「日記カテゴリー」にて投稿します。

 

お隣の国ですが、韓国の事です。

 

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photo credit: KOREA.NET - Official page of the Republic of Korea Korea_CostaRica_Summit_04 via photopin (license)

 

私は韓国人の方とは親しくはありません。

そんな私ですが、以前から韓国人という呼び方には嫌う所がありました。

理由は「朝鮮の方」であるからです。

 

歴史的にさかのぼれば、「朝鮮の方」という言い方も変なのかもしれませんが、やはり「朝鮮の方」が合っていると感じています。

 

この「韓国人」という呼び名を見ても、私達という人間が決定的に行ってしまう事があります。

それは「物事を決定づける」という行為です。

 

現在の韓国という国内は、それは苦しい生活状況が続いている方々が多い事でしょう。

外の国である日本から韓国を見ていれば、その閉鎖的な苦しさが見てとれます。

 

今回、その事が特に問題視されて「デモ行進」などが発生しています。

学生は、苦学の末に就職難にあえぎ、それは国家的な環境の影響である事を理解しています。

 

それ故に、自分たちが国家内の制度や風習に耐えてきて、生きてきた、その苦難の矛先を「大統領」へ向けています。

 

これほど、痛々しい光景は見ていられません。

 

「デモ行進」をしている方々は、これまで自分達の「生きる」生活を、命をすり減らすように生きてきた事でしょう。

今は、その事が理解できないでしょうが、私達にも同じような経験があるから、それは解るのです。

 

必ず人間は、「答え」としての「現前」された状況を作り出して、ターゲットにします。

ここでは「大統領」がターゲットになっています。

 

たしかに「大統領」は悪いのですが、「大統領」を責めて、新しい動きが韓国から発生したとしても、状況は変わらず「苦しみ」を嘆く人達は変わらないと感じます。

 

韓国の国旗を見て頂きたいのですが、この国旗には「対極図」が描かれています。

 

この「対極図」の意味を、それを掲げている「韓国の方」は改めて知って頂きたいのです。

 

「対極図」の「円」は、ずべての「根源」を現わします。

これは「空」と捉えます。

 

物事の一切は「空」から始まります。

この「空」の中に、様々な「ご縁」が蔓延しています。

 

そして「対極図」には「陰陽」の「魂」のような図が描かれています。

この「魂」のような図は、それぞれ「陰陽」です。

 

ただし、「陰」が悪く「陽」が優れているという事ではありません。

 

「陰」の要素は、元は「陽」であり、「陽」の要素は元は「陰」なのです。

 

その要素を描くと「円」になります。

 

 

何が悪いか、良いかではありません。

その存在が悪く見えるのであれば、良く変化するのです。

 

そして何を対象とするか、行動の矛先をどこに向けるかという事でもありません。

 

世界は本来、全て「円」の要素からあります。

 

「円」だけを考えるなら、それは「善悪」や「陰陽」の判断もなくなるのです。

ただ、「円」だけが存在している点、それは「始まり」であり、「終わり」であります。

 

この世界が、そして生きる全てが、ただ等しく存在して動き続けている象徴です。

 

これが描かれているのが、韓国の国旗です。

 

だから、この世界のあらゆる出来事や存在する理由や行動、そして物体や反物質を含めて、それぞれが「円」の要素から成り立っている事を、改めて思い返すべきです。

 

私は、この「円」を口癖にしています。

特に、今は「大円覚」と口癖にしています。

 

私のブログの最も大切にしたい部分は、人間が良く生きる事です。

これは、私が生きる事が下手で、だから強く思うのです。

 

現在、韓国内で発生している事態は、とても良く生きる人間の心境ではありません。

そして、大統領が解任されたとしても、韓国内の情勢が変化する気配を感じません。

 

それは、「対極図」の中にいないからです。

 

「対極図」を意識した国民になれるなら、「物事を決定づける」という行為が薄れてゆきます。

 

「円」を理解していない人達は、永遠に「物事を決定づける」という行為から逃れる事が出来ません。

 

そこには「直線」しかありません。

「陽」は「陽」であり続けて、「陰」は「陰」であり続けます。

 

対象を求める悪口は、永遠に続く事になり、それを行う方々は、永遠にその光景を作り続けるのです。

それは「対極図」のあり方に反する行為です。

 

私が大きな事を言えませんが、「円」の思想を改めて理解する事で、人が救われます。

 

決定された「お告げ」もなければ、決定された「聖者」もありません。

しかし、それを求める傾向が見られます。

 

誰にでも、どんな人間にも、何か決定された対象を追い続ける「システム」が格納されています。

ただし、その存在がある事を理解する、そして学ばないと、その「システム」に動かされ続けます。

 

声を張り上げて「デモ行進」をする事も大切です。

ただ、もっと柔らかく。

 

人が硬くなることなく、心は豊かであれ。

さもなければ、同じ事が繰り返されます。

 

 

今回は以上にしたいと思います。

最後までお付き合いいただき、有難うございました。

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