私が振り返る 「イスラムの革命」(イラン革命)

 

こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。

今回は「思想カテゴリー」にて投稿したいと思います。

私が記憶している「イスラムの革命」を、思い返して見ました。

 

「イスラムの革命」と言えば、「イラン革命」が思い出されます。


正確には、1979年2月にイランの「パフラヴィー朝」において発生した革命です。

私は子供ながらに、よくテレビで紛争の映像が流れていた事を覚えております。

 

イランには「パーレビ」という国王がおりました。(写真の右側の人)

 

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photo credit: Iran 2007 273 Niyavaran palace Mohammad Reza Shah Pahlavi via photopin (license)

 

この方は、近代的な国家建設を実行します。

例えば、「土地改革」です。封建的な制度を打破して、貧富の差をなくそうとします。

その他では、婦人の参政権を決めたり、教育に力をいれたりと、普通であれば良いと思われる事をしています。

 

ところが、何故か貧富の差が発生してしまいます。

 

現在の中国を見れば解かりますが、農業で言えば、生活が苦しくて大都市へ出てきてしまいます。農業では賃金が安すぎて、土地を売って生活が出来なくなってゆきます。

「パーレビ国王」が近代化を目指せば、それに呼応するように、貧富の差が生まれてゆきました。

都市部には、いわゆる「援助」をする団体がありました。これは様々な国で行われています。

イランの場合は「イスラム教」が、こうした方々の援助を行っていました。

 

一向に収まらない貧富の差。イスラムの助けを受ける人々。

やがて、貧しくはないが、国が間違っていると感じる方々も増えてゆきます。

さらに、もともと「パーレビ国王」に批判的であった左翼派の方々も、この動きに同調します。

 

そして、ついに国家を転覆させる「イラン革命」が発生しました。

 

「イラン革命」は、一般的には「ホメイニ氏」が、近代的な国家に反する、イスラムの伝統的な国家を目指したものとしての認識があります。

しかし、実際は「パーレビ国王」が、国家の近代化を目指した事が、貧富の差を生んで、耐え切れなくなって発生した出来事でした。

 

現在のイスラム諸国の内乱を見ますと、本質は宗教における事が問題なのではないと思うのです。

つまりは、豊かではないから問題が発生していると見ています。

豊かとは、お金と精神的な面を含めた事です。

 

例えば、豊かであるのなら、変な「ヨガ」を行いながら超常現象を体感しても、それはそれ以上はないと判断できるでしょう。

何故なら、豊かだからです。

豊かな人は、そんな事はしません。

 

毎日、ご飯を食べれている方々も、豊かです。

 

ある外国の方と話をした事があります。日本人のように、毎日忙しければ、仕事の事しか考えない。

外国人の方も、日本に来て毎日働いています。

大変であるけれど、やるしかない。

外国人の方の故郷にも、仕事に出る事ができない方々がいるようです。

そうした方々が、やる事がないので、そういう行動(暴動)に出てしまうと言っていました。

 

日本という国は、けっして民主主義的な国家ではないと思っています。

上からの指示を純然に受け入れる社会主義的な国家であると思っています。

 

「パーレビ国王」が近代化を目指して、国を変えようとしましたが、実は空虚な事でした。

イランには、日本と同じように「伝統的な文化」があり、他の西洋的な近代文化を排除したのです。

 

イスラム圏で発生している問題は、宗教的な力で解決することは難しいと思います。

あくまで、伝統的な文化スタイルの尊厳を守ることです。

 

他の文化を真似ては、常に「パーレビ国王」の時代と同じ事が繰り返えされます。

 

あれから20年以上が経過しまして、様々な「春」と呼ばれる運動もありました。

しかし、豊かにはなれません。

「パーレビ国王」の時代と同じ事が、ただ発生していただけでした。

 

では、宗教を前面に押して解決は出来ないだろうか。

それは出来ないでしょう。

 

結局、「イラン革命」が「民衆」の生活を何とかしようとしただけのスタイルである為、本質的には、別に宗教を前面には押してはいないからです。

 

ただ、「それだけ」が大きな力であり、原動力になった革命でした。

 

今回は以上にしたいと思います。

最後までお付き合いいただき、有難うございました。

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