暴動は常に群集と共にある

 

こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。

今回は「日記カテゴリー」にて投稿したいと思います。

たまに、私自身が気付いた事を投稿したりしています。

 

本日はタイトル通りなのですが、最近のニュース事も考えてみようと思いました。

「構造主義」という言葉があります。社会的な事象は構造があり、その構造を理解すすれば、社会の動きを把握できるとする考え方です。

 

未だ、このブログでは深く投稿はしておりませんが、それに近い「言語学」について投稿はしております。

そんな「言語学」ですが、言語を使う者とは「人間」です。

社会組織を立ち上げ、個人が言語を使って生活を営みます。

 

そんな感じで社会を形成していますが、最近の社会的な傾向では「革命」がよく発生しています。

いや、「暴動」かもしれません。

 

この「暴動」は、なかなか収まる傾向がありません。

その理由に上げられるのは、この「暴動」が民衆という群集に発生しているからです。

当たり前の事ですが、「暴動」は「民衆」の中に起こります。

 

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photo credit: Silvester 2011 via photopin (license)

   

これが「革命」的な事になれば、時の政権も変化してしまいます。

 

私が「ラングとパロール」という投稿で書いた事ですが、社会には「制度」と「個人」が存在します。

 

「制度」に不満があれば、変革が発生して「制度」を変えるのが人間です。

 

ここで注目すべき所は、「群集」が不満を感じて「制度」を変えると言う事です。

 

最近の例を上げれば、「アラブ」で発生した自由を求める運動「アラブの春」です。

「群集」に問題解決の契機を求めるように広がりました。

 

これは大事な部分です。

これがもし、「政府」が「群集」をたきつける様な行動を起こしていれば、革命は発生しない訳です。

 

解かりやすく述べますと、かつて日本で「小泉首相」が「郵政民営化」を国民に対して革命を起こそうと動きました。

多くの群集が、これに参加をしまして民営化は達成されました。

この際、小泉首相は「自民党をぶっ潰す」と発言して反対勢力を排除しました。

これに群集は乗りました。

 

政府がこのように、群集に対して新しい「革命」を提示する場合もあります。

 

社会構造は「群集」と共にあります。

最近に発生している「暴動」をどのように把握して対峙するかは、その国の問題ではありますが、何か問題が起きそうだと感ずる時は、群集に構造的な問題が降りかかる時です。

 

私は、その群集の一人ではありますが、「傍観者」でもあります。

 暴動の力は「群集」ある事を、書き残しておこうと思います。

 

その「群集」をかき立てるのは「革命組織」であり、もしくは「政府」です。

このどちらかが、「群集」をかき立てて「暴動」をあおりたてます。

 

どうぞ、そのような時には「傍観者」であって下さい。

正しい認識を持つ人間が、わざわざ不自然な現象に悩まされてはいけません。

意識を合わせないでください。

相手がどんなに正当的な事を提示してきても、意識を従わせないで下さい。

その時、あなたに手立てが無いのであろうと、心を屈しないで下さい。

あなたこそは、その時に「傍観者」であって下さい。

 

今回は以上にしたいと思います。

最後までお付き合いいただき、有難うございました。

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