こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。
今回は「思想カテゴリー」にて投稿したいと思います。
ドリス・デイの歌う「ケ・セラ・セラ」であります。
photo credit: Doris Day via photopin (license)
この「ケ・セラ・セラ」とは、「なるようになるさ」という意味です。
私が何故に、ドリス・デイの歌う「ケ・セラ・セラ」を取り上げるかです。
歌の内容は「なるようになるさ」なのですが、適当に歌っている訳ではありません。
そこには「真剣さ」があります。
かつて、哲学者の「カント」は芸術について語っています。
これまで、芸術と言えば、「遊び」のようなものと思われていたが、そうではないと考えています。
そこには「真剣さ」がある。
「真剣さ」があるから、時代の中に「残る」のです。
哲学者のハイデガーも同じ事を考えています。
娯楽というものではなく、そこには「真剣さ」を伴っていると。
ドリス・デイの歌う「ケ・セラ・セラ」は、「真剣さ」をまざまざと感じる歌です。
歌の内容は「なるようになるさ」という事です。
しかし、それを歌うドリス・デイの姿には、微塵の「いい加減さ」もありません。
私はこの時代の人間ではありませんが、ドリス・デイの姿には時代を超えた生命の躍動を感じます。
その歌声は、図太い「レーザー」のように、一定の音質を保っています。
そして、ドリス・デイの歌を聴く多くの方々の心の内に届くのです。
それは同じような歌手が同じように歌える感動ではありません。
数少ない、生命の息吹を「真剣さ」を持って伝える芸術家の姿です。
故に、時代を超えて「残る」ものとして現れるのです。
人はこれを、本物と呼びます。
「真剣さ」を伴う本物の芸術は、確実に聞く方々に変化を及ぼします。
意識をしなくとも、それを聞く「あなた」にも、本物の影響が流れ入ってきます。
こうした本物の芸術が、あなたの「血」や「肉」となり、あなたの生きる現実に対しても、見えざる変化を及ぼします。
適当な事を話しているのではありません。
芸術とは、そう言うものです。
故に、人生が豊かになるのです。
ドリス・デイの歌う「ケ・セラ・セラ」は、その内容が「なるようになるさ」と歌っていても、「真剣さ」を一貫して現されています。
もし、人の生き方に「変化」という可能性を見続けるのであれば、どんな状況においても「真剣さ」が必要です。
例え、「なるようになるさ」と言う歌を歌っていても、真剣さを持って歌う必要があります。
つまりは、「なるようになるさ」という状況においても、「真剣さ」を持って生きる事が寛容であると言う事です。
この「真剣さ」という言葉は非常に大切です。
私が大切にしている言葉でもあります。
私の場合、哲学者のアランより影響を受けましたが、この「真剣さ」を持った人間でないと「創造」が出来ないのです。
人生で言いますと、「変化」を求められないのです。
芸術家とは、「真剣さ」を持って、この地上に創造できる唯一の存在です。
その芸術に触れる事で、私達は生活を豊かに出来ます。
あなたの人生を豊かにします。
本物は時代を超えて残ります。
ドリス・デイの歌う「ケ・セラ・セラ」も、本物の歌であります。
どうぞ、ドリス・デイの姿勢から発せられる歌声を、あなたに染み込ませて見て下さい。
あなたの人生が豊かになる手助けとなります。
今回は以上にしたいと思います。
最後までお付き合いいただき、有難うございました。
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