「不確実性」の選択について


こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。

今回は「思考」の使い方として「不確実性」について少しだけ投稿したいと思います。

 

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人間は不思議なもので、充実していると「別の道」を探り始めます。

本来、それだけ有れば十分なはずなのに、別の事を始めます。

つまり「退屈」がきっかけなのです。

 

他人から見たら充実した環境で生活していても、例えば「お酒」に人生を走らせていたり、不安定な要素を作り始めます。


基本的に、人間は「成長する」という事に対して積極的です。

今、進んでいる道が「ふさがっていた」としたら、迷わず別の道を模索するはずです。

これは「交通道路」を走行中に、誰でも経験する事です。

電車でも、乗り換えにおいて同じ事が言えます。


ただし、その「ふさがった道」も、しばらくすれば「交通可能」になるかもしれませんが、人間は別の道を模索します。

 

そこに新しい価値観と感情が生まれているからです。

 

こうして、人間は様々な「娯楽」や「自己投資」などの活動を始めます。

現在とは別の環境である「不確実」の世界に飛び込んでゆきます。

 

そこに新しい価値観と感情が生まれているからです。

 

これも人間の特性です。

つい「やる必要のない事」に手を出したり、「考える必要のない事」を考えたり、わざわざ結果的に自分を不幸にする、追い詰める行動を取るのは「不確実性」を選択してしまうからです。


それは、人間の行いであって、安易に解決はできない「サガ」です。

 

だから、もしも自分が「何でまた、こんな失敗をしたんだ」と悩む事は無意味です。

これは人間の行動だからです。


ここに人間の「多様性」が発生せてゆくのです。


「不確実性」を望む事で「成長」もしますし、その時々に「得るべき物」があるはずです。

 

だから「幸福」を理解できるようになりますし、世の中を見る事が出来るようになります。

世の中には「努力が足りない」とか「集中力が続かない」と怒られてたり、それを自分自身で信じ込んでしまい「自分は力量が足りない」と思い込まされている方々は多いと思います。


ただ、「大小」の違いはあれども、実際にはそんな事はありません。


「努力が足りない」人は、その行い方を知らないだけ。

「集中力が続かない」人も、その行い方を知らないだけ。


さらに「知る機会」を塞がれているだけ。

知る事に対して「罪悪感」か「反規則」を、心に思い込んでいるだけ。


「不確実性」の選択から、このような感情を蜂起するような事は、避けるように望みます。

大切なのは、「不確実性」を選択して「自分を追い込んでいる」としたら、、それが改善する余地がある事を知る事です。


1つは「サイコサイバネティクス」的な発想です。

さらに申せば「フィードバック」の習慣をつける事です。

 

「フィードバック」については次回に投稿したいと思います。

 

今回は以上にしたいと思います。

最後までお付き合いいただき、有難うございました。

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