「ルター」を思い返す (奇跡の破天荒なる聖職者)③

 

こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。

今回は「思想カテゴリー」にて投稿したいと思います。

 

前回の続きより、16世紀に活躍した「ルター」を思い返して投稿しようと思います。

破天荒な、そしてエキサイティングな行動の果てに時代は変化してゆきます。

 

ローマ法王の名を受けて、神聖ローマ帝国(ドイツ皇帝)である「カール5世」が立ちはだかる事になります。

 

ローマ法王からしたら、「ルター」に突き付け「破門」の「教義」を守る方向で進めてもらわないと、治まりがつかないのです。

その事を「カール5世」に託し、「カール5世」対「ルター」の戦いが始まります。

 

1521年1月、「ヴォルムス帝国議会」を開き、「ルター」を召喚しました。

内容としては、「ローマ法王」が正しいから、従えと言う事です。

 

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File:Luther-in-Worms-auf-Rt.jpg - Wikimedia Commons

 

しかし「ルター」は信念を変えません。

いっそ、殺してしまった方が良いのですが、すでに殺してしまえば暴動が起きるほど、「ルター」の関心は広まってしまいました。

ただ、「ルター」は本来、温和な人物であったようです。

 

ところが、封建社会の秩序を平気で飛出し、ヨーロッパの礎となっていた「ローマカトリック教会」を根底から揺るがし、まさかの「ローマ法王」と対峙して、気がついたら、今では「皇帝カール5世」の目の前にいるのです。

 

その行動の源は「神」であります。

「神」とは、それぞれの個人の中にあり、決して形式化された存在ではありません。

そして職業などの違いはもちろん、低俗な人間に関わらず、誰でも同等に「神」とはあるのです。

それを理解した以上、「ルター」は「神」に背を向ける事が出来ませんでした。

あらゆる方々に同様にあり続ける「神」。

この事実を守る必要があるのです。

 

「自分を導いてくれたのは聖書であり、その自分を取り消すことは出来ない」

 

「ヴォルムス帝国議会」にて、このように「ルター」は語ったようです。

 

聖書に書かれた文字こそ、神からの「福音」として「ルター」は捉えました。

それ以外の作り上げた現実は、人間を救う事はありませんし、導く事もないのです。

「ルター」は、「神」の文字である「聖書」を第一に考えています。

これを「福音主義」として、新しい「キリスト教」の在り方を示しました。

 

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photo credit: The #German reformator Martin #Luther on his socket in #Eisenach. via photopin (license)

 

 

 そして、「キリスト教徒」は、心の内にある「見えざる教会」を通じて「神」と対話する事ができるのです。

 

それは誰でも隔たりなくです。

「お金持ち」も「貧乏人」も、性別も関係なく、善人や悪人も関係ありません。

「道徳的」な感覚も必要ありません。

「お布施」などの金銭的な行為でもありません。

「修行」のような環境に身を置く事でもありません。

つまり、カトリック教会が行っていた現実は、「ルター」にはまったく受け入れられない事実でした。

 

この新しい流れは「カール5世」にも止める事は出来ませんでした。

「ルター」の本を出版禁止にしても、誰もが読みたがって、本の「貸し借り」を行い、国中に広まってしまったのです。

 

「カール5世」が「ローマ法王」から名を受けて行動しようにも、もはや手を尽くすことができないほどの勢力が出来上がってしまったのです。

 

「ルター」は「ヴォルムス帝国議会」の後、ドイツの「ヴァルトブルク城」に押しこめられました。

 

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  photo credit: Wartburg, Eisenach via photopin (license)

 

しかし、めげないのが「ルター」です。

「ルター」には、どんな時にでも「神」がいるのです。

 

「ルター」はこの場所で「新約聖書」のドイツ語約を行いました。

 

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File:Lutherbibel.jpg - Wikimedia Commons

 

今まで、聖職者の御用達であった「聖書」が、ドイツ語になった事で、民衆の中に自然と「キリスト教」が流れる事になるのです。

 

「ルター」は、カトリック教に対して抗議を続けてきました。

この抗議を「プロテスタント」と言います。

 

「ルター」は、プロテスタント主義のキリスト教徒になるのです。

 

 

「ルター」は、学校の教科書では簡単に「ルターの宗教改革」として紹介されます。

しかし、その行動はかなり破天荒です。

その最大の破天荒さの恩恵は、「カトリック教」を実質的に民衆から分離した事でしょう。

「人間」という社会が、「神」から独立する機会を作ったことでしょう。

これにより、やがて「産業革命」の時代がやってきます。

封建社会から、新しい社会へのシフトの作業が、ここにはあるのです。

 

誰でも出来る事ではありません。

 

「ルター」を思い返しますと、国家を平然と突破して、封建制度も突破して、宗教も突破して、妙な道徳観も突破して、人間らしい生活の営みの道すじになった方でした。

普通なら、殺されても良いはずが、偶然と言いましょうか、器量と言いましようか、突破してしまいます。

そして最終的に渡り合ったのが、「ローマ法王」と「ドイツ皇帝」という、これ以上ない帝国の主と対峙することになります。

 

そして、今では当たり前になっている「信仰の自由」も、この時点から始まっているのです。 

 

本当に、奇跡的な破天荒である聖職者でした。

 

今回は以上にしたいと思います。

最後までお付き合いいただき、有難うございました。

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