私が思う メンデルスゾーン「葬送行進曲」

 

こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。

今回は「思想カテゴリー」にて投稿したいと思います。

 

「フェリックス・メンデルスゾーン」の「葬送行進曲」であります。

 

File:Mendelssohn Bartholdy.jpg

File:Mendelssohn Bartholdy.jpg – Wikimedia Commons

 

「メンデルスゾーン」は、あまりにも有名な人物です。

実は誰でも「メンデルスゾーン」は知っています。

結婚式に定番の曲は「メンデルスゾーン」です。「結婚行進曲」になります。

 

知識人であった事は元より、行動の人物でもありました。

その行動の一端が、前回に「思想カテゴリー」で投稿しました「J.S.バッハ」と言えるでしょう。

 

本来でしたら、「メンデルスゾーン」の生い立ちや実績などを投稿するのも良いと思いますが、私が経験している「メンデルスゾーン」の音楽にて、実はあまり知られていない曲をご紹介したいと思います。

 

私が「メンデルスゾーン」を調べるきっかけは、「J.S.バッハ」の投稿でもお話しましたが、とにかく、お金もなく、助けも無く、行くところも無い時でした。

図書館ぐらいしか、お金をかけずに1日を過ごす場所がないのでした。

 

クラシック音楽の譜面を見ていました。すると、「葬送行進曲」という曲が目につきました。

別に楽器が出来る訳でもないのに、読み始めるのでした。

とりあえず、キーボードを使って音を出してみました。

その譜面を全て弾くと言う事は出来ませんでしたが、そのメロディーが心に染みるのです。

その曲こそ、「メンデルスゾーン」が作曲した「葬送行進曲」と言う曲でした。

 

 

後に「CD」を購入して聞き入るのでした。

普通であれば、弱っている時に、こうした曲を聴くことがおかしいのですが、私は落ち込んでいた時期に、よく聞いていました。

この曲は「結婚行進曲」とは対極の曲ですが、落ち込んでいる自分ですら、わざわざ聞こうとする意欲が出るのでした。

やがて、こうした行動を「シンクロ」とか「浄化作用」などの言葉に置き換える事が出来ると知るのですが、つまりは「助け」となった曲であります。

 

これも不思議な事ですが、どんな人間でも「妄想」を行います。

瞑想したつもりでも、つねに「妄想」が漂います。

自分が幸せの時には、幸せの妄想が漂います。

自分が不幸の時には、不幸の妄想が漂います。

 

そして、不幸な時などに、本来であれば動く必要のない思考を巡らせて、不幸話などを妄想し始めます。

人間はどんな時にでも、実は行動しているのです。

私の場合、「葬送行進曲」に自分を重ねて行動していたのです。

 

常に、自分を曲に合わせて慰めているのです。

この曲には、そんな力があります。

 

私がふと自分の岐路を振り返るとき、不幸の上に成功を見ています。

つまりです。きっとベースは不幸なのでしょう。

 

不幸であって、人は行動を止めるように思われますが、実は不幸の時でさえも、人間は行動を止めません。

その1つが「妄想」です。

思考を停止させずに、「妄想」に書き立てられます。

 

そんな時の曲であるのが、私的に言えば、「葬送行進曲」なのです。

 

脱線しますが、同時期に「チャイコフスキー」の「悲愴」にも興味を惹かれます。

この曲はすばらしいです。

こうした、すばらしい曲に癒されるのです。

決して、不思議ですが、人間は行動を止めません。

不幸であるなら、不幸の行動を止めません。

その不幸を浄化するよに、慰めるようにシンクロする空間が、こうした曲の有難さであります。

 

今回は以上にしたいと思います。

最後までお付き合いいただき、有難うございました。

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