ちょっとだけ「執着」についての話です。②

 

こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。

前回の続きで「プチ神事カテゴリー」にて投稿します。

 

お釈迦様は「中道」という言葉を使っています。

これは「有る」や「無い」という事実を超えた答えです。

 

今、パソコンで文章を書いていますが、機械は「0」か「1」という判断しかしません。

この「0」か「1」かこそ、「正しい」か「間違い」を示すものです。

 

この考えは危険で、物事の判断に「正しい」か「間違い」のどちらかに執着を巡らせます。

この、どちらかに執着を巡らせることしか、もう普通の方々は行っていないでしょう。

 

どちかかの「道」が正しく、外れれば「間違い」という残念さが心に巡る事が、自然となっているでしょう。

私もそうだから言える事です。

これは、社会で教えられてきた事です。

 

ところが、本当の真実とは、「正」か「負」で分けられるものではありません。

「0」か「1」で判断できる事ではありません。

 

その常識を超えた高い視野が「中道」と呼ばれる視野です。

 

「中道」の視野は、「正」か「負」、そして「0」か「1」の上に立つ視野です。

 

だからぶれる事のない真実の視野になります。

 

この視野に立った時、あらためて社会を見てみます。

 

1

 

この形式的な組織を「中道」の高い視点で見るならば、ただ「正」か「負」、そして「0」か「1」の状態が散りばめられているだけです。

 

2

 

しかし、その事に気が付かずに、どちかかの「道」が正しく、外れれば「間違い」という残念さが心に巡る世界に居続ける事が、自然となっているでしょう。

私もそうだから言える事です。

 

そしてこの判断には常に執着が巡っています。

 

「正」か「負」の中に、名誉や出世、金銭や物欲、社会的信用や社会的な常識に常に「0」か「1」の判断を行い、気が付かないですが、執着を巡らせています。

 

何故、執着に気が付くかと言いますと、執着には「悩み」が降りかかります。

常に、悩みの元凶が生まれ続けるから、そこにストレスを感じるのです。

 

この執着は「精神の世界」も同様で、何かの真理を追い求め続ける事は執着です。

この肉体から発せられる意志や感情も、それをコントロールし続けるなら、そこに執着があるのです。

だから、「悩み」は尽きないのです。

 

この「悩み」は尽きないが、何故か執着を巡らせる国家に自分の精神を預け続け、会社人間となることを誇りとして、自分と言う存在を滅してしまう方が多いのです。

 

執着を解らない間に、この世界に巡らせているのが、「普通」という思い込みです。

だから、勝手に「束縛」を受けてしまい、その束縛感を意味不明に振りきれないでモヤモヤするのです。

 

では、いかにして心を自由にすればよいのでしょうか。

 

ニーチェを読む事。

いや、「中道」と呼ばれる視野を持って見る事です。

たぶんです。

 

高い視点から、実体を観察するイメージを持つと良いと思います。

私は、良くそうしています。

 

「正」か「負」、「0」か「1」の日常は、平面上の上で行われ続けています。

だから、会社では多くの人が「エクセル」が大好きなんです。(たぶん。)

 

平面上の表計算上で、常に計算結果を出そうとしますが、それは答えであって、答えではありません。

その時の計算結果に執着を巡らせると、束縛を受けて、何故か変なストレスを持つかもしれません。

だから、高い視野が必要で、「中道」と呼ばれる視野を持って、本質を感じて見ます。

 

これはイメージですので、そんな風な感じだと思って頂けると幸いです。

 

前回の投稿で東芝の事を少しだけ述べましたが、「中道」と呼ばれる視野から見た時、何を感じるでしょうか。

 

私には、古い体質を持ち続けたまま、改革を行っているのであるが、体質が古いのであるから、その体質では改革を行っても、また同じ事を続けるなという感じです。

 

「正」か「負」、「0」か「1」の日常を、平面上の上で行われ続けている感覚です。

 

そこに本当の人間は少なく、ただ古い構造体が動いていて、「正」か「負」、「0」か「1」の計算結果だけを打ち続けている感じを受けます。

 

以上、今回は執着について少し投稿を行いました。

執着は怖いです。

体も心もボロボロになります。

 

神様にすがっても、執着です。

では、何にすがれば良いのでしょうか。

 

つまり、すがらなければ良いのです。

 

お釈迦様の知恵です。

 

今回は以上にしたいと思います。

最後までお付き合いいただき、有難うございました。

0 件のコメント :

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。