「勝手な自分を低く見る思い込み」は、大変危険です。

 

こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。

本日は「日記カテゴリー」にて投稿します。

 

さて、今の世の中では、あまり無い事でしょうか、会社内で残業を好む方々が、まれにおられます。

こうした方々の全てではありませんが、仕事内容的には薄いが「忙しい、忙しい」という言葉を使って動き回り、残業をしている方々を見かける事はあると思います。

 

 

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ところが、目上の方々から「残業を何とかしろ」と言われると、残業を止める訳です。

 

私の経験では、タイムカードを押して、会社に居続ける方々も見てきました。

もちろん、タイムカードを押して仕事をしているのですが、もっと早く終わるはずなのに、作業の効率は変わりません。

 

私が不思議だと感じていたのは、本当に仕事が忙しいのであれば、自信を持って「忙しい」と言えば良い事でした。

 

しかし「忙しい」という言葉を目上には語らず、タイムカードを押して帰るのです。

もしくは、まるで電車の時間に合わせるように仕事をして帰るのです。

 

また、こうした状況と似た経験を、神社でよく見かけます。

熱心な姿勢で「神様」に心を通わせて、きっと色々な知識を持って神様と接しているのだと感心します。

 

 

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ただ、とっても理解しなければならない事は、神様という目上の存在に、なぜ頭を下げるのでしょうか。

 

いや、礼儀として、それは当たり前ですが、そう言う事を言っているのではありません。

 

もしも、自分と言う存在が「神」であるとしたら、神社で神様に深々と頭を下げるでしょうか。

失礼が無いように、礼儀を正すでしょうか。

 

私は、そこまで神経質にはならないと思います。

 

ここで気を付けるべき点は、自分と言う存在を、勝手に低く設定していると言う事です。

 

例えば、学校であれば、勝手に教師と生徒の間に序列を作ります。

そして先輩と後輩にも序列関係を作ります。

 

それが会社であれば、もちろん社長と社員との間には上下関係があります。

神社で神様がいらっしゃるなら、人間という存在との間に上下関係をつくるのでしょうか。

 

この、勝手に周囲の状況から、自分の存在を低く設定する事を覚えてしまうと、人生に不利なことばかり起こりはじめます。

 

会社では、上司の意見が絶対になります。それが間違っていても、それを遂行します。

最悪なのは、その責任を取らされる事です。

 

上で書きました残業の件でも、本当に忙しいと自信を持っていれば、その心中を上司へ話せるのです。

しかし、心中を話せないと言う事は、自信がないのです。

つまり、自信がないと言う事は、自分を低く設定して、残業はいけないと思い込んでいるのです。

 

神様の話を例にしますと、自分の願い事や、社会の平和などの思いを共有しようと神社に行ったとします。

そこに「自分」の存在はどれほどありますか。

「自分」の叶えたい祈りを「他者」である「神様」に預けてはいませんか。

 

そこに「自分」の自信はありますか。

確実に、「神様」という「他者」に祈りを預けてはいませんか。

尊いと思い込んでいる存在だから、自分の想いを預けても良いと思い込んでいませんか。

本来は、自分の願いは「自分」が預かるものです。

決して「他者」ではありません。

 

「他者」に預けた瞬間、自分を低く設定しています。

もしも「神様グッツ」で幸運になれるのなら、買ってしまう恐れがあります。

それは、自分を低く設定して、他者である神様を尊んぶように勝手に思い込んで設定しているからです。

 

基本的に、人間は「良く生きる」事が必要であると思います。

これは「西周」も哲学を語る上で話していた記憶がどこかにあります。

 

自分を低く設定する人は、自分が行っている事に対して「自信」のない人です。

 

これが酷くなると「不安感」に悩まされ始めます。

理由は「自分」を低く設定して、その不安がつのるからです。

 

不安がつのれば、やがて「攻撃的」になります。

そして、自分を隠すようになる事もあります。

 

私はよく、あるコンビニに行くのですが、私が入ると逃げるように隠れる人がいます。

間違いなく、心に勝手な不安感を設定しています。

 

人間は、本来は自分と他人を比較なんて出来ません。

自分は自分ですし、他人ではありません。

 

その他人と比較しようとすると、おかしな事が起こりはじめます。

 

自分と他者を比べれば、必ず何かが劣っているはずです。

ただ、それで良いのです。

 

自分は自分であり、自分をご自愛する事に、自分が正しい判断で行動を開始します。

その時、他人は他者でしかありません。

比べる必要はまったくありません。

もし、比べるなら、その勝手な思い込みを誰かに教えられたか、思い込んでいるだけです。

 

自分と他人はまったく違います。

その為、本来は比べようがありません。

 

ところが、比べてしまう為に「目上」であり、「神様」であり、自分を低く設定してしまい、結局はその他者の言いなりになり続ける事を自然に選ぶようになります。

その理由は、自分を他者に預けてしまっているからです。

 

出来る限り、自分が行う事に対しては「自信」を持って接する事です。

この「自信」がはっきりしていれば、自分を低く設定する事はありません。

 

良く生きる為、自分に「自信」をもって今日を生きます。

ニーチェが言うように、過去でも未来でもなく、今を生きます。

 

過去はもうありません。存在しない過去の言いなりになる必要はありません。

未来は不確定です。そんな未来に頼る必要はありません。

 

良く生きる為に、今と言う時間を自信を持って生きて下さい。

自分をご自愛して頂き、自分の行動を行って下さい。

 

今回は以上にしたいと思います。

最後までお付き合いいただき、有難うございました。

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