上野で「カラヴァッジオ」を体験してきました。

 

こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。

今回は「芸事カテゴリー」にて投稿したいと思います。

 

上野で「カラヴァッジオ」を体験してきました。

だからどうしたんだ!と言いたい題名ですが、久しぶりに絵画で感動を覚えてきました。

 

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ちょいと時間つぶしで上野に出向く。

しかし上野はゴールデンウィーク中で人が沢山。

それでも果敢に「カラヴァッジオ」を見に行く。

何も、連休中に行く事もなかったのですが、こんな感じで行動していました。

 

しかし、「カラヴァッジオ」は良いですね。

入館してすぐに「女占い師」という絵画に遭遇。(いや、普通にありました。)

わたくし、この絵画が一番印象的でした。

 

The gypsy fortune teller
*oil on canvas
*115 x 150 cm
*circa 1595

File:The Fortune Teller1.jpg – Wikimedia Commons

 

ネットでは画像がくすんでしまいますが、実物は本当に圧巻です。

実は6月に入り、もう一度上野へ出かけました。

改めてこの絵画をまじまじと体験してきました。

 

左側の「女占い師」が、右側の男性がはめている「指輪」を何気なく盗もうとしているようなのですが、私は、そんな部分は見ていませんでした。

とにかく、絵画に人物が溢れていたからです。

 

しかし、改めて実物を見て来ますと、女性の「現在の立場と素養」を感じさせられました。

この絵画の中では見にくいのですが、女性の「指の爪」が黒ずんでいるのです。

そして、どちらかと言うと、しっかりした「指の爪」ではないのです。

逆に、男性の「指と爪」はしっかりしています。

明らかに、「生い立ち」や「生活感」に違いが現われていました。

 

おそらく、日常の女性の生活は、荒れている事が自然化したような日常なのかもしれない。

そんな気にさせられました。

その表情からも、それは伺えて、男性と比べて若干、品が悪いのです。

顔の「ほほ」がこけているんです。

 

だから、とっつきで「占い師」を装っている感じを受けますが、意外と男性も解っていて、それを楽しんでいるのかもしれません。

 

私はこの絵画のやり取りが好きなのですが、男性が「神」に見えてしまいます。

それは男性に「愛」があふれている様に見えてしまうからです。

だから、女性に「手」を差し出しているように感じてしまうのです。

「愛」がなければ出来ません。

 

その流れで、  まさに「バッカス」です。

 

感銘をうけた美しい絵画が「バッカス」でした。

 

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photo credit: IMG_2600K Caravaggio. Michelangelo Merisi da Caravaggio dit Le Caravage. 1571 1610 . Rome. Naples. Bacchus. 1597. Florence. Galerie des Offices. via photopin (license)

 

またまた、ネットでは伝えきれませんが、「神の肌」が印象的でした。

もちろん、その他の「葡萄酒」の美しいのですが、その顔立ちも印象的で、つまり神なのです。

背景は「茶色」です。

ネットではその「美しさ」が見て取れないことが残念です。

 

「茶色」と言う事は 「土」でしょう。

そして「バッカス」の「指の爪」も汚れていました。

おそらく、「ブドウ」か、「土いじり」のせいでしょう。 

「バッカス神」の顔立ちは仏像の顔立ちと似ています。

丸顔の団子っ鼻です。

 

「女占い師」の絵画もそうですが、「オーラ」が出ているのです。

だから、私などは、どうしても足を止めて見入ってしまいます。

それほど美しい作品で、力のある作品でした。

すごい作品でした。

 

あと、やはり「キリスト」をモチーフにした宗教画が多数出展されていました。

「エマオの晩餐」です。

 

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photo credit: IMG_2600E Caravaggio. Michelangelo Merisi da Caravaggio dit Le Caravage. 1571 1610 . Rome. Le Souper à Emmaüs. The Supper at Emmaus 1606. Milan Pinacoteca Brera. via photopin (license)

  

人間である「キリスト」、いや神であるキリストの様々な表情が展示されていました。

こうした絵画を見るだけで、不思議と心が理解に満たされます。

神の子であるキリストは、人の子であり、人の表情は、そこに言葉を示すのです。

そこに実体を理解させるのです。

 

 

そんな感じで 「法悦のマグダラのマリア」や「ダヴィデとゴリアテ」 などが展示されていました。

 

私には「女占い師」と「バッカス」でお腹いっぱいですので、「法悦のマグダラのマリア」にはあまり興味がでませんでした。

「法悦のマグダラのマリア」には、すごく人だかりがありましたが、あれが良いのかなぁ。

ヌードのやつは良かったと思いますが。(いや、変な意味ではないです。)

キリストへの想いを、肉体からにじみ出る様に現していたと感じました。

 

こんな感じで「カラヴァッジオ」を体験してきたのですが、やはり本当の芸術作品にふれると、心と体が「浄化」されて気分が本当に良くなります。

 

本当に「浄化」されている感覚を理解できます。

絵画にパワーがあり続けて、五感を通じて「いやされる」のです。

 

6月ぐらいまで開催しているから、もう一回足を運びたい気分でいます。

(いや、行ってきました。)

五感を突き抜けるのパワーは強烈です。

 

例え絵画の世界であっても、そこに500年前の人物の有り様が見てとれます。

つまりですが、ただの絵画を見てきた!という感謝と感動ではありませんでした。

 

本当に感謝、感謝です。

 

今回は以上にしたいと思います。

最後までお付き合いいただき、有難うございました。

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