単純化の必要性

いつもブログをご覧頂き有難うございます。

PCのクラッシュにより、投稿が出来ない日々が続いていました。

WINDOWSを使用していますが「システムの復元」を使用しましたら、さらに悪化。

インストール済みプログラムは消去。関連するデータも紛失。 日常で使っていた「ブログ投稿エディタ」も反応なし。

 PCを「初期化」したいのですが、重要なシステムもある為、本当に悩みが尽きません。


さて、標題の「単純化の必要性」について語ります。


成果が出にくい


物事を考える時には「単純」と「複雑」の2面性があります。 しかし、何事も「精神的」に熱心に取り組んでいると「成果」が出にくい場合があります。


  • 仕事熱心な方
  • 規律を重視する方
  • 上司の意見だけに従う方
  • つまり、実は自分の能力を使わない方






自分では、世の中の「雰囲気」や「流れ」が正しいと思い行動している事について、どうしても「悩み」が発生し始めて、頑張っているはずだが、結果が出ない事は良くあります。


 これは、きっと「何か大切な事」を見失っているのです。

自分の能力を使わない方の傾向


自分では考えていませんが、このような傾向に陥る危険が世の中には溢れています。

 その顕著な例が「複雑化した思考」です。

  • 論理ばかりが先行し始める
  • 作業工程が明確に増えてゆく
  • 記録ばかりを付け始める
  • 生死を極めるような修行が好きだ


これを、もう少し明確にしますと「精神的な判断を重視する」傾向が見えます。


  • 過酷なサービル残業を許可する自己精神
  • 社会規範の中に自己を埋没させる常識や美徳感
  • 学者や評論家の意見をうのみにする

 これを回避する手立てが単純化


世の中で奮起する事は、決して「自分を良くする事」ではありません。

 「自分が手を下す機会」を極力減らす事が、実は最高の結果になります。


その最も良い例が「アンドリューカーネギー」です。

 彼は、アメリカの「鉄鋼王」として君臨した大富豪でした。

 ただし、彼は「鉄鋼」の事を知りません。

 「鉄鋼」の事を知っていたのは、彼が雇った人達です。



「アンドリューカーネギー」は、つまり「人」を操る事に長けていたのです。 



 自身で「鉄鋼」に手を下す事はありませんでした。


  • 他者の力を借りる
  • 自分は単純で良い
  • 自分が抱える内容を省いてゆく
  • 始めて成果が見えてくるものです


物事は、出来る限り「単純化」しなければいけません。

どんな事にも「俺が俺が」といきり立っては結果がでません。

それが「問題を複雑化」してゆくプロセスです。



 「問題が複雑化」してゆきますと、ますます「絡まったヒモ」のように事態が見えなくなります。

 この時、思考は複雑化によって「機能的に落ちる」存在になります。

そうしますと、元々できていた「判断」も出来なくなってきます。


  • 仕事熱心な方
  • 規律を重視する方
  • 上司の意見だけに従う方
  • つまり、実は自分の能力を使わない方


これが発生します。 だから、この世の中の出来事は出来る限り「単純化」する事が効果的な生活を提供します。


今回は以上にしたいと思います。


 最後までお付き合いいただき、有難うございました。

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