あらゆる事は遠くにあり、近くにあるのは魂のみである。

 

こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。

今回は「日記カテゴリー」にて投稿したいと思います。

一応、ブログであり、私がしみじみ感じている事も忘れないように投稿しておこうと思い、書いております。

 

ブログ内のどこかで書いた事ですが、今、体の調子がきっと良くはありません。これは私に限った事ではないのですが、多くの方々が「無理」をして生活なさっていると思います。

そのような中でも、何とか1日をすり抜けるように生きる為の、道具としての知恵が大切であると、繰り返して投稿しております。

 

しかし、どうしてもうまく運ばない事が多発するのですよね。

例えば、あなたが学校や、もしくは職場で降りかかる「災い」を、あなたは自宅にいたとしても、頭に持ち続ける事が多いでしょう。

すでに生活の中で失敗している経験を引きずり、生活している事も多々あると思います。

 

人間は不思議なもので、「時間」や「距離感」を無視する能力をもっています。

 

例えば、あなたが学校や、もしくは職場で降りかかる「災い」を、あなたの自宅にまで持ってきて悩んでいたとしても、それは「変」な話なのです。

この場合の、あなたの悩みや「災い」は学校や職場にあり、あなたの自宅と言う距離をおいた場所には存在していないのです。

 

本来は手にする事が出来ない「不」の現実を、あなたは手に出来ない場所にいる事になるのです。

 

写真を見て頂けると解ることですが、「山の向こう」と言われると距離を感じると思います。

本来は、物理的な現象と同様に、あなたが「足」を進めないとならない場所に問題があるものです。

 

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photo credit: Thomas Favre-Bulle via photopin cc

 

あなたは認識していませんが、「災い」とあなたとには、明確な「距離」があります。しかし、その距離を理解せず、本来は「災い」のない自宅にまで持ってきている事が多いと思います。

 

私は、あらゆる事は、自分の手の届く範囲にはなく、自分の手に取れる範囲にあるのは、魂だけであると思っています。

 

これは自宅に限った事ではありませんよ。

 

私とて、どんなに困難であろうと、「災い」とは距離があります。

その「距離」は、通常であれば、「遠く」にあります。

 

もうダメだ、と思う出来事が連発するケースなんて、そうは無いはずです。

 

ここでは「災い」を上げましたが、同様に幸福も「遠く」にあります。

近くにあるように錯覚しますが、幸福を得る為の行動を行うから、手にできるケースが出てきます。

私が足を進めた先に、現象は待っています。それは、他人が仕組んだ事においてもです。

私が病になっても、それは「遠く」にあります。そこに足を進めるかは、自分が歩む方向を決めるだけです。

「富」や「名誉」が必要であるならば、「遠く」にあります。

住みたい場所があるなら、私が家から歩いた距離にあるでしょう。つまり、「遠く」にあります。

 

「近く」にはありません。「近く」にあるのは、足を進める必要のない、私の魂の場所のみです。

 

だから、どうか、たまたま私のブログをご覧になって、心に問題を抱えているなら、その問題とあなたには、本来は「距離」があることを、どこかで知って頂きたい。その距離感を無視して、自分の間近にある「危機」としないで欲しいのです。

距離があるから、対策を立てて、逃げる場所を探すか、助けてもらうか、策を練ります。

 

あらゆる事は遠くにあり、近くにあるのは魂のみです。

 

私はそう思っているのです。だから、人は念じても簡単に幸福にはなれませんし、不幸が本来は距離を置いた場所にあっても、身近に抱えて生活してしまう。

「時間」と「距離」を無視してしまうからです。

 

今回は以上にしたいと思います。

最後までお付き合いいただき、有難うございました。

2 件のコメント :

  1. 仰っておられることはわかるのですが、あるであろう ”心底の意味合い” を汲み取りかねております。
    修行不足を痛感致しております。
    更に再読させて頂きます。
    よろしくお願いします。

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  2. 伊勢屋廣平様

    コメント有難うございます。
    私のような者の投稿を、少しでもご理解して頂けたのであれば幸いです。

    投稿文を読んで頂き、有難うございます。

    返信削除

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