人間が行う「言語変換作用」的な考察

 

こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。

本日は「思考カテゴリー」にて投稿します。 

 

標題が「いかにも論文的な題名」になっていますが、このお話も重要な位置にあると思います。

 

ある「営業マン」が「客先」から、新しい案件をもらってきたとします。

 

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例えば「客先」

「御社には、いつもお世話になっています。仕事を新規に立ち上げますので、ぜひお願いします。」

 

 

かなり簡単な、客先からの連絡ですが、これが「窓口」である「営業マン」によって伝え方が変わります。

 

 

例えば「営業マン」

「各位 お疲れ様です。昨日、先方より新規のアイテム追加の連絡が入りました。リードタイムは「○○日」を設けて下さい。本工程は「○○工場」にしたいと考えています。その場合の必要な工数をお知らせください。また、今回の連絡は「客先」からの指示によるものであり、変更はできません。これはかならず実行して下さい。納期厳守でお願い致します。」

 

 

文章とは言えない文面ですが、私が伝えたい事は「客先」の言葉が、それを受け取った「営業マン」から、「別の大きな存在」のような文章になってしまうことです。

 

 

できる「営業マン」は、客先からの案件を「複雑化」なんて致しません。

それよりも、お互いに「出来る限り利益を出せる環境」を考えて行動しています。

 

 

ところが、いわゆる「困った営業マン」は、「自分の世界」を構築して、「客先」の言葉を「自分の世界の言葉」に変換して伝えてしまいます。

 

 

これは「現象学的」に言えば、「言語」を外に出す工程に問題があります。

 

「言語は、その人間が最も安定した状態で外に伝える方法」です。

 

 

その為、「個性的な営業マン」の「心の内にある虚栄心」などが、そのまま現れます。

つまりですが、「客先の言葉」を「自分の見栄や虚栄心」に変換して伝えてしまいます。

 

これは、この投稿内の「営業マン」の例ですが、このような事例は様々に見られます。

 

 

 

「シャーマン的」な女性に助言を求めると、自分では理解できないような回答が返ってくる事があるとします。

 

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この例も「自分の考えている内容」に対して「シャーマン的な女性」を通じて「言語」を変換しています。

 

自分の「志」が「神の言葉」に変換されるのです。

 

 

私が注意して頂きたい所を図にします。

 

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まず初めに「誰かの言葉」があります。

これは「自分の言葉」でも良いでしょう。

 

しかし、これが「別の人間」に移行されますと「別の言葉」になります。

結果的には「同じ」である場合もありますが、それでもいけません。

 

情報というのは、ただ情報として、純粋な情報として展開されるべきです。

 

 

そうしませんと、「組織」が崩れます。

利益が出ないからです。

 

どうしても「堅苦しい事が正しい」や「正義感が溢れている」として「情報」が「彩られる」事がありますが、私は注意したいのです。

 

そこに行きつく人達は「固定された世界」の住人です。

 

その「固定された世界」とは、「他者の言葉に変換」された世界です。

 

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あまりにも「人間」として窮屈です。

 

私は、多少なりとも社会に触れさせて頂いておりますが、どうにも説明が難しい、説得が難しいのが、この方々です。

 

悪い言い方をすれば、「思考」を捨てているのです。

最も「楽」で「安定」した「結果としての言葉」に落ち着こうとします。

 

だから、一歩前の「誰か(自分)の言葉」に、自分がいないのです。

 

 

このポイントを理解しますと、「あいつはハッタリだ」という事が理解できるようになります。

しかし、このポイントを無視していますと、この類の人達にのめり込まれます。

 

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人間は、どんな相手であろうとも「心」を委ねた瞬間に「従う」という機能が発動します。

 

とくに、日本で横行している事態だと思います。

 

私自身に対する「喚起 」も含めて、今回は投稿させて頂きました。

 

 

今回は以上にしたいと思います。

最後までお付き合いいただき、有難うございました。

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