こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。
本日は「プチ神事カテゴリー」にて投稿します。
6月に入り、つまりは個人的に「心が追われている」系の出来事ばかりでありまして、なかなかブログに手が伸びません。
また、最近になり「カフェイン」を大量に取りながら、書籍を読みあさる日々でもあり、つまり日常がまとまっておりません。
最近、まともに「神社めぐり」もしていないので、久しぶりに「神田明神」へ足を運ばせていただきました。
そうしましたら、また熱心に、何かを唱えている人を見かけましたが。
くどいですが、あなたが神なんだから、あなたが願う姿勢が実現するんですよ
(続くよという事。)
と、素直な気持で言葉にしたくなりました。
さて、「カルマ」なる言葉が古くから日本で使われています。
つまり「苦しみ」や「悲しみ」や「怒り」や「悲劇」などなど、私達が現実に体現する事柄は、この「カルマ」が原因であるとしています。
私は、自分の「カルマ」の深さや種類を見分ける事が難しいと思いますし、「カルマ」とは「反省」する事で浄化されます。
だったら、常に「反省」の姿勢をとっていれば良い事になります。
これは「ホ、オポノポノ」で良いと感じています。
しかし、やはり「災い」という言葉に人間は弱いものです。
「苦しみ」や「悲しみ」や「怒り」や「悲劇」などは、いったいどこからやってくるのでしょう。
その答えは簡単です。
人間は他者と比較する事で、カルマを生み出します。
もしくは、自己利益中心の精神で他者排除の行動でカルマを作ります。
この教えは「サイコサイバネティクス」によるものですが、非常に重要な事です。
災いの根幹は、他者と比較することから発生しています。
だから、自分と言う神を、他者という神と比較しないことです。
ところがどっこい、とても黙っていられないんだよ、という気持もわかります。
それは、その反射的な気持なのです。
誰かに習い、自分が習慣にしている感情なのです。
だから、やめれば良いのです。
「シルバー・バーチに聞く」という本に、何気なく書いてありましたが、基本的には「あの世」に「この世」の事は持ってゆけません。
ただ、この世で成長した心は持ってゆけます。
持ってゆけないのは、この世界が幻想だからです。
ところが、執着深く、他者と比較ばかりして「反省」の無い人は、浄化という作業を行うことをしませんから、肉体は滅んでも、心をつつむ「幽体」に、執着として「カルマ」がこびりついてしまいます。
なんとなく、「シルバー・バーチに聞く」の中にも書いてあった気がします。
これは五井 昌久さんの「霊性の開発」の中で語っていた事ですが、私達の「幽体」に「カルマ」がくっ付いているという事です。
だから、生まれ変わっても、前世の記憶なんて無いのに、この執着を反省していない「カルマ」が現世にくっ付いてしまうという訳です。
そうすると、「カルマ」とは反省しない限り、永遠と続くものである事になります。
ただ、名前が「カルマ」というだけと思われるのがよく、つまりは「習慣」なのです。
毎日を「反省」を持って生活することで、「カルマ」は改善されます。
(私的にですが、カルマなんて相手にされないことが宜しいです。)
細かいことを考えずに、ただ「他者との比較」を止めることです。
「他者との比較」が原因で「苦しみ」や「悲しみ」や「怒り」や「悲劇」が作られ始めます。
そして、それが「想像力」が作り出している「幻想」であるにも関わらず、現実と受け取って、自分を苦しめ、災いを発生させます。
災いを発生させられるように、「幸福」を発生させられます。
それは「念仏」を唱えることではありません。
「サイコサイバネティクス」的に言えば、「他者に対して思いやりを持つこと」です。
どんな場合でも、他者の立場に立って考えること。
悪口や批判なんて言われても、別にかまわないでしょう。
この投稿を見てくれている人は、きっと、そのくらいの人格者であるはずです。
自分の出来る限りで「他者」を想う事が大切なのです。
これが、自分が発生させる災いを止めるのです。
これより、他者からの恩恵に恵まれ始めます。
そんな他者を災いによって、苦しめてはいけないでしょう。
くどいですが、あなたは「神」です。
古来、御霊の動きを表す存在を「神」と呼びました。
だから、あなたは「神」です。
また、あなたは唯一、「想像力」という力を持っています。
この「想像力」に「質量」が付きますと、現実の物になります。
この「想像力」だけで、人を動かせます。
この「力」を有するのは、あなたという「神」なのです。
だから、日々の生活に災いを感じるのであれば、それは現実化してしまう危険性があるのです。
そして、習慣化されることで、カルマが流転し続けるという事です。
要するに「習慣化」という実体を実現させる事になるのです。
ならば、そんな「習慣」を相手になさらなければ良い。
「カルマ」を相手になさらなければ良い。
「念仏ラブ」で、低俗なる霊と同調して、幻想の虜になる事が大好きな方には、永遠にこの状況から脱出する事ができません。
そんな方は「あなた神」を光らせて、世を照らして下さい。
神社で、熱心に、何かを唱えている人を見かけますが、
くどいですが、あなたが神なんだから、あなたが願う姿勢が実現するんですよ
(続くよという事。)
人間が、こうした光景に同調するのは、子供の頃に「育て親」の行動を真似て成長しているからです。
その際、生活に関して「救われている」からです。
いいかげん、自分の「魂」で行動しないと。
低俗なる霊と同調して、幻想の虜になる事を止めて、「あなた神」を光らせて、世を照らして下さい。
神社で言えないので、何気にブログで発信しています。
今回は以上にしたいと思います。
最後までお付き合いいただき、有難うございました。
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