こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。
本日は「日記カテゴリー」にて投稿します。
しかし、果てしなく悲しい「自己実現」の世界が絶えません。
自分の人生を仕事へ自動的に捧げ続ける生き方の果てを「全人格労働」という言葉を持って話されています。
そして、気がついたら「労働」に人生を奪われるという訳です。
http://dot.asahi.com/aera/2016021500139.html
http://www.sanoelp-coach.com/article/15267497.html
http://news.yahoo.co.jp/feature/154
もっと、日本の皆様が豊かに生活できる世の中になる事ができれば、何と素晴らしい事でしょう。
人生の全てを、当たり前のように自動的に「労働」へ捧げてしまう心理。
それは、自己破壊を発生させるに決まっています。
労働は美徳ではありますが、自分自身の「心」を他者が作った「会社」や「労働」中心に置いてしまうと、自分の行動が制限、もしくは無くなってしまいます。
まず、最も大切な事は、人間は自分が認めた事以外には、それを真実としないと言う事です。
一度、自分の中で、他者が作った「社会」や「会社」という存在を明確に理解を置かずに、「労働は人生の全てに必要」と自分で認めてしまうと、それは目標化されて、潜在意識が自動的に遂行してしまいます。
だから、世の中の流れを個人的に勝手に理解して、信じ込まない事が必要です。
自分が属している環境を明確に理解する事が必要です。
さて問題は常に他者である上司など「他者」の言葉に操られる人生になる事です。
他者の言葉は「会社」や「社会」の中にあり、これを無意識に真実と受け取り始めるからです。
本来、人間には他者の言葉を安易に受け入れないようなシステムがあります。
だから、自分で社会の常識を真実と捉えてしまうと、自分が認めた事実は自分を動かす真実ですから、疑う余地はなく、死ぬ気で遂行してしまうのです。
さて、私はある時期に、会社の特定の人達に対して、社長が面談をもってくれる機会がありました。
私以外の人達は「ガチガチ」になり始めます。
さらに追い打ちをかけるように「今日は特別に社長が面談の機会をもってくれるから」と付き添いが話し始めました。
周囲はもう、緊張で声も出ない状態でした。
周囲の意識の中には、自分では制御できない「会社」と「社長」が入り込みます。
私は別に何とも感じていませんでした。
私の中には、会社と社長はありませんでした。
いや、私は社長を目の前に「私は他人ではない」と意識的に投げかけました。
私は、私の中に「会社」と「社長」を意識づける事をしませんでした。
しかし、周囲の方々は、そうした訓練を知りませんので、没落していました。
私は私という個人でしかない。だから、明確に自分を理解するには、他人の言葉に従ってはいけない。私と他人は違うのである。
これは私事ですが、様々な会社の方々と話をする際に、どうしても個人を見つける事ができません。
心の奥底に「会社のしきたり」のような信念が見えます。
それがある限り、とても私と、その方々との話は収まる事ができません。
私が「まぁ、そうだね」と終わらせます。
実用書を数冊読まれる方なら解ると思いますが、利益を上げる会社は「ロボット」のような人間の扱い方はしていません。
人間を使う為に必要なことは、「他人の立場に立つこと」「思いやりを持って接する事」という基本的な事です。
自己啓発的な文面が廊下などに貼ってある会社を見かけますが、あれは無意味です。
それこそ、私なら理解できますが、それは「言葉は道具」という世界を知っている事、そして「ナポレオン、ヒル」などを知っていなければ、本当の概要はつかめません。
あんな物に操られていたら、仕事ができません。
あれは、人間が道具として活用するから生きてくるのです。
しかし、自分を省みる事ができず、周囲の話を心に真実として持ち続ける人が大勢います。
だから、会社に格言が貼ってあれば、その文面に従ってしまいますし、他者を信じ込みます。
その信じた言葉は、自分を動かす言葉になるのです。
だから、危険なのです。
まともな社会でない環境であれば、自分が過っている事に気が付かないで自分を苦しめ、自分が作業停止状態に陥るのです。
これは、自分の潜在意識がギブアップを上げている状態です。
非常に不安定なイメージが、自身を取り囲んでいる状態です。
そして、何故に不安定であるかを理解できないまま、そのうち会話などの話す事や、歩く事などの身体的な影響も発生してくるでしょう。
自分を傷つけている事を止めないと、身体的な影響に出始めます。
誤った自分自身のコントロールを続けているのです。
それらは、自分が他者の言葉を信じ込んで、信じ込むから「支配」された形になり、それ以外の道が見えなくなってしまうのです。
だから、言うのですが。
私は私という個人でしかない。だから、明確に自分を理解するには、他人の言葉に従ってはいけない。私と他人は違うのである。
誤った自分自身のコントロールという言葉が自分から発せられている事を理解できないから、サディスティックになっても容赦ないのです。
いや、むしろ自虐を容認するのです。
間違っていると判断できないからです。
自分が描いてきた目標と現実の姿が違う事に、悲観的になる事もあるでしょう。
しかし、別に悩む事はないのです。
目標は100%、自分の思った現実にはなりませんし、本来はそうであるべきです。
だから、世の中を見渡して悲観的になるのではなく、もっと大切な事をします。
それは、自分が描く目標を、もっと明確にする事です。
明確にするとは、視野を広げる事です。
私はブログを始めるまで、特に気が付きませんでしたが、ずいぶん他人の為に労を費やしてきたなと思いました。
あくまで、私個人の世界ですが、他者に費やす行為は、自分の視野を広げる事を理解しました。
そして、自分が行っている事に、確実な自信を持っていました。
その自信は「哲学」という先人の道具でした。
その為、何とか過ごせてきたのでしょう。
他人の立場に立ち、その目標を手伝う事。もちろん、思いやりが必要です。
そして、広い視野を持って、自信を掲げて過ごす事。
決して、自分に対して批判的になってはいけません。
自分に対しては、他人に対するのと同様に、優しく接すのです。
すると、もう一人の自分と言いましょうか、自分が救われている状態になります。
私は、「全人格労働」という感覚がわかります。
かなり多くの方々は、この「全人格労働」に陥っていると思います。
だいたい、学校教育が、この「全人格労働」の始まりです。
家庭も同類でしょうし、そうしますと視野の逃げる場所がないでしょう。
ただ、最も大切な生き方は「ご自身をご自愛する事」です。
自分を愛する事を知っている人は、「笑う」事を止めません。
常に、笑う事を致します。
「幸せだから笑うのではない。笑うから幸せなんだ」
もし、悩みをもたれて、たまたまこのブログをご覧になった方がおられましたら、どうぞ「笑いの力」を実践してみて下さい。
一日のうち、10分程度の時間に笑う時間を数回とって見て下さい。
頭も冴えわたります。
悩みも、薄れてゆきます。
活力が目覚めます。
本日は日記にて、「全人格労働」という言葉について書いてみました。
もっと根本的な解決方法を書ければ良かったのですが、何かの足しにして下さい。
根本的な問題は、自分という存在が、安易に他人の言葉を真実と受け入れる事です。
自分は自分でしかなく、間違っても他者ではありません。
ただし、その他者に対しては「思いやり」の気持ちを忘れてはいけません。
他者の立場を理解して、判断するようにします。
だから、それが出来るのは自分と言う個人である必要があるのです。
決してブレない個人です。
今回は以上にしたいと思います。
最後までお付き合いいただき、有難うございました。
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