こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。
本日は「サイコサイバネティクスカテゴリー」にて投稿します。
「サイコサイバネティクス」の詳細は、書籍を読まれれば解るのですが、このブログでは、私が実体験した記録やイメージを加えてお話を行おうと思います。
最近、何故かパソコンが欲しくなり、秋葉原をうろつく今日この頃です。
きっと、ストレスがたまっているのかもしれません。
さて、私はパソコン自作派です。
その理由は「メーカー製」のパソコンが高くて買いにくかった為です。
かつて、あのダイエーで「IBM製」のパソコンを購入しました。
どうゆう訳か、2度の故障を経験しました。
私の中では、店舗で購入しているし、保障もあるだろうと考えていました。
ところが、現実は違っていました。
故障してダイエーに連絡すると、このように回答されました。
(私)すみません。パソコンが故障したので対応をお願いしたいのですが。
(ダイエー)そうですか。では「IBM」の電話番号を教えますので、後はご自身でお願いします。
(私)え、自分で対応するんですか。
(ダイエー)ええ、そうなっていますので。
そして「IBM」に連絡。
(私)すみません。パソコンが動かないのですが。
(IBM)そうですか。送料込みで5万円ぐらいですね。
(私)え、保障期間中ですけど。
(IBM)送料に5万円かかります。
ふざけるな。
こうして、私は自作派になっゆきました。
ちなみに、私が「ダイエー」や「IBM」と連絡を取りあった場所は、あくまで会社内では事務的な場所にあたります。
この事務的な場所で、お客様のパソコンの状態を伺い、修理工場へ流すための判断を行います。
もちろん、この故障による修理の対応には、様々な「不安」や「疑念」が渦巻きます。
(やっぱり、ダイエーで買うんじゃなかった。失敗だよ)
(IBMに修理に出すより、自分で直した方が安いじゃないか)
この不安感や疑念は、そのまま現実となり、私を自作派の道に誘いました。
さて、この際の「判断」こそ、人間の「意識的思考」にあたります。
ざっと、下の表をご覧ください。
意識的思考は連絡係として、人間の前頭葉で活躍しています。
私の場合、ここで「不安」や「疑念」に対する判断を行い、潜在意識である製作所へ問題を渡しました。
潜在意識は、意識的思考から渡された内容を元に、パソコンを買わないで自作する行動力を与えました。
これが、現実の世の中に生活する過程において、意志を現実化する過程です。
特に修行が必要ではなく、瞑想が必要である事はありません。
瞑想が出来るなら良いですが、これは単純な問題なのです。
私達は、人間の前頭葉で活躍する意識的思考に判断をゆだねます。
その多くが「不安」や「疑念」が付きまとう項目かもしれません。
そうしますと、私がパソコン自作派になったような行動を生み出します。
つまり、ここで「成功」や「幸せ」を意識していれば、まったく変わった自分がいたと言う事になります。
ところが、私以外にも、多くの人間は悲観的な意識を掲げてしまいがちです。
マルツ博士は言っています。
この意識的思考に「不安」や「疑念」などの判断を与えれば、必ず潜在意識に、それに見合う要素の結果をもたらす。
特に問題なのは、人間は他人からの言葉を受けると、それを真に受ける所があります。
(おい、顔色がすぐれないけれど、大丈夫かよ)
そんな言葉が、すぐに意識的思考に投げかけられ、それは潜在意識に渡されます。
すると、その人は不健康という存在として出来上がってしまうのです。
これは、前回にお話ししたサーボメカニズムによる流れです。
私も、自分の人生で失敗したなぁと思う所に、これがあります。
私は素直に他人の意見を聞いたり、実行してきました。
しかし、それは間違いでした。
自分と他人は違う存在である。
自分を確立していれば、他者の意見を判断できるのです。
しかし、自分を確立しているないと、他人の言葉で、自分は動かされてしまうのです。
困った事は、その自分を自分自身と勘違いして過ごしてしまう事です。
さて、連絡係の意識的思考には、ほとんどの方が信頼を寄せています。
とにかく、現代の「判断」という行為に対しては、この前頭葉で活躍する意識的思考に頼っています。
それは詰め込んで判断を下している事でしょう。
事務的な意識的思考が、沢山の判断を勝手に下して、製作所である潜在意識に流しているでしょう。
本当に、社長である「自我」をほったらかしにして、無意識に流し作業を任せているでしょう。
だから、世の中が、何だか訳が解らなくなってゆきます。
訳のわからない現実が生産され続けます。
意識的思考は答えを持っていません。
私達の生活において、答えを持っているのは潜在意識だけです。
今、パソコンのキーボードを叩いていますが、これを意識的に行えば、とても打つ事は出来ません。
これは潜在意識が働いているのです。
マルツ博士は、この例えをピアノで説明しています。
誰でも、ピアノの鍵盤を意識的に注意深く見ながら演奏していたら、必ず間違いを発生させる。
ピアノを弾くとは、そう言うものではなく、意識的思考が潜在意識に渡されて、引けるようになるのだと語っています。
私が学校や家庭、そして社会で学んだ多くの事ですが、どうしても「意識的思考」が主役である風潮があります。
しかし、これは危険な事です。
限定的な行動ばかりを描く人間になります。
これは私がそうだから話せることです。
その為に、多くの事を失ってきた事を、今さら後悔しても悔やみきれません。
この世界の答えは、限定された答えは存在しません。
しかし、特に日本では「確実な道」という、そこにある確実な正しさを描き、それを絶対的な真理と教える風潮があります。
これは、大変に自己を固定化してしまいます。
もう少しお話を続けたいので、次回に続きます。
最後までお付き合いいただき、有難うございました。
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