こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。
本日は「超常世界カテゴリー」にて投稿します。
「力」を抜く事の大切さなのですが、これは年齢を重ねれば重ねるほどに理解してゆきます。
私が「メルロ=ポンティ 「知覚」 」の投稿でお話した事ですが、人間がこの世界を理解する機能は、私達の「体」がになっております。
けっして、「脳」だけが主体的に活動している訳ではありません。
もっと話しますと、心と体だけで、私達は活動しておりません。
私達には「気」という存在が備わっております。
ほとんどの方々が経験してきた事ですが、「何かを成功させないといけない」と思い込み、必死になって努力してきた事があったはずです。
もしくは、「世の中のしきたり」や「家庭の規則」や「会社での関係事」など、とりとめなく「体」に嫌でも成さねばならない出来事が降りかかり続けてきたはずです。
私は、会社では自分の部下に対して「会社の事なんて考えるな」と良く言います。
とても言ってはいけない事ですが、これは必要な事なのです。
私は、私のような存在が辛うじて生存させて頂いている限り、その思考や思想を少しでも有効に伝えておきたい使命のような事を感じる時があります。
これは私の部下に限った事ではないのですが、まるで映画でも見ているかのように、「世の中」に対して「正義」を掲げたがる傾向を見ます。
私には、この思考が危険なのです。
その正義は「学校の先生」や「マンガ」や「会社の偉い人」に理由付けられた思考です。
その思考を用いているかぎり、個人として幸福にはなれません。
本当の「善悪」を理解できないからです。
この状態で、多くの困難に対峙して、体を傷つけ、成果を出せずに「ウツ」や「逃避」が始まります。
会社を退職する方も見てきました。
おおよそ、多くの方に共通しているのが、「正義」という命題を決めて、与えられている「思考」を使って悩み、道がふさがると言う傾向です。
私も多くの困難がやってきましたが、私の場合は「頭」だけで考える事はしていませんでした。
私は出来事を「記憶」に留めるというよりは、「気」に留めるように扱いました。
直接的に「心」に負担をかけるような事はしないように心がけています。
例えばです。「文字」をキレイに書くように言われたとします。
力を振り絞って「ペン」を握ったとして、キレイな文字は書けるでしょうか。
間違いなく、書く事はできません。
しかし、多くの方は、この「力」が入った感覚を理解しないで、努力という側面に照らし合わせて、事を成そうとします。
そして、失敗してしまいます。
心も疲れますし、体もついてゆきません。
そこで忘れていけない存在があります。
それが「気」なのです。
「気」という存在は、目に写るものではありません。
あくまで「気のせい」という存在です。
しかし、その「気のせい」が、「心」と「体」の中にある存在であり、私たちを取り回している存在なのです。
この「気」とは、始めに「心」によって動かされます。
「やる気」や「眠気」や、様々な「気」がイメージより体にめぐります。
その時にです。
「体」に力が入り、りきんだ状態では、「気」がめぐらないのです。
力を振り絞って「ペン」を握ったとして、キレイな文字は書けるでしょうかという答えは、ここにあるのです。
「体」を突き動かしているのは「心」ですが、「気」がめぐる必要があるのです。
この「気」をめぐらせる為には、リラックスした状態である必要があります。
キレイな文字を書く際には、ある程度のリラックスした肉体の状態があるはずです。
「力」を抜くという感覚を覚えませんと、「心」と「体」が有効に機能しないのです。
そして、「心」と「体」が有効に機能しない場合、人間は動けないのですから、「最も簡単に手に入る日常の状態」を望み始めます。
それは「生活環境の悪化」であり、「悩みから立ち直れない」などの、停止状態を誘う状況です。
そこで、投稿しております「スワイショウ」でも、改善効果はあります。
胸(ハートチャクラ)と喉(スロートチャクラ)活性化には 「スワイショウ」です。
ただ、力を抜くという感覚を知ることが重要です。
これは簡単なのですが、全身に「力こぶ」を込めます。
その後に「ぱぁー」と力を抜けば、「すぅー」となります。
これが「力」を抜く感覚です。
ただこの時、この「すぅー」となる感覚の中に「気」がある事を理解して下さい。
なぜ「気」があるか、理由は簡単です。
「心」が全身に「力こぶ」を込めてと命令して「気」が動き、「体」が反応したからです。
「体」の力を抜いたとき、「気」も同時に流れたのです。
この「力」を抜いた状態に「気」は流れます。
りきんでいては、良くありません。
心と体をつないでいるのは「気」なのです。
キレイな文字を書いているのは、「気」が通っているからです。
身勝手な、コントロールされた思考には「気」が通っていません。
ロボットのように壊れてゆきます。
「力」を抜くことの大切さは、ここにあります。
様々な諸困難は、「力」を抜いた状態の「気のせい」に受けさせ、映画を見るように、見て捉えれば良いのです。
何も、「心」までに困難を届かせる必要はないのです。
「心」が困難を背負えば、「気」が滞りはじめます。
いわゆる(知らんプリ)などの「気」を思い浮かべて頂くと解りやすいのですが、つまり、すぐに切り離せる「気」のイメージが必要です。
どうしても、人間は「脳」で考えて、判断して、決定していると思いがちです。
科学的に見てですが、その科学的な視野や思考も、「気」を滞らせます。
私が、会社で自分の部下に対して「会社の事なんて考えるな」と言う理由もここにあります。
「メルロ=ポンティ 」も話していますが、けして「脳」だけに真理がある訳ではないのです。
あなたの「心」と「体」に存在する「気」が、あなたを決定する要因です。
だからこそ、「力」を抜いて、キレイな文字書ける気構えでいて頂きたいのです。
今回は以上にしたいと思います。
最後までお付き合いいただき、有難うございました。
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