こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。
本日は「超常世界カテゴリー」にて投稿します。
今月に入り、めっきり投稿をしていません。
いや、出来ていません。
私自身、自分に気付きと言いましょうか、実りある様々な出来事は巡ります。
そこで、特に自分の内部へ入るようにしています。
もう、この言葉じたいが怪しいですが、要するに「右脳」をよく使うように心掛けていると言う事になります。
私達の日常生活は「左脳」が論理的に組み上げた世界に知覚を行い、生活を乗せています。
ただし、肝心な事があります。
それは、私達の「脳」の判断は、最も基本的には「脳幹と大脳辺縁系」が初めに働くと言う事です。
ここで本能として反射的に知覚します。
例えば、「神様」に出会う人も、「大統領」に出会う人も、神秘的な体験を知覚する全ては、基本的には「考える以前に知覚」して発生しているのです。
さて、「脳幹と大脳辺縁系」で知覚した事は、「右脳」に運ばれて「イメージ化」されます。
「イメージ化」されたら、最後に「左脳」で「論理化」されて、私達の言語として表現されます。
「言語」ですので、それは「建物」や「衣類」、「政治」や「宗教」や「科学システム」と枝分かれして現実化しています。
もちろん、「左脳」で「論理化」された世界には「PTAの怖いおばさん」や「教育ママさん」は元より、「世の中の常識というシステム」を強く押してくる方々が出現する訳です。
そうしますと、この「世の中の常識というシステム」にいない人物を軽蔑したり、侮辱して、自分を優位に置こうとし始めます。
ただし、こうした世界は、あくまで「左脳」が作り出している世界です。
「お母さんの言う事は聞きいなさい」や「上司の言う事は絶対だ」など、つまりは「左脳」が作り上げた論理的な世界です。
その為、つい「論理的な世界」が正しく見えてしまいますが、そうではありません。
特に、この「親」や「上司」、「教師」の反応を見て、一喜一憂するのは「子供」の反射機関でして、大人になったら「自分」で判断する反射機関があるのが普通は必要です。
ところが、これを知らない為に、社会の目上の意見や「合格マーク」、「役職」に強い関心を抱く人が、絶えない事は事実です。
そして、当然とさえ感じている人が多い事でしょう。
あくまで、これは子供の反射機関なのです。
大人用ではないのです。
この世界の出来事は、私的に見れば「左脳的」な論理的な世界です。
そこには構築された論理に反する動きは否定されてしまいます。
ただし、あらためて理解して欲しい事は、「左脳」が働く以前に「右脳」が働いていると言う事です。
だから、現実を見つめる目は大変に必要ですが、現実を渡り歩く為の「イメージ」である「右脳」はもっと大切なのです。
「右脳」を使う人は「怒る事」も、「怒鳴る事」も、「考え詰まる」事もないでしょう。
何故なら、左脳的に考える必要がないからです。
では、その状態とはどんな状態であるかですが。
簡単ですが、「目」を閉じた状態で「目」を上に向けて下さい。
この感覚は日常と違うはずです。
これを「変性意識状態」と言います。
たて続けに「肛門」を閉めてみて下さい。
下っ腹(ヘソ下)に意識して、肛門を閉めてみて下さい。
少し深呼吸をしてみて下さい。
リラックスします。
2分ぐらいしたら、その感覚を意識したまま「目」をゆっくり開けます。
あまりに簡素的ですが、これだけで「右脳」が優位に働いていると思います。
「言葉」や「断定的」な態度ではなく、ボーッとしたリラックスです。
本来、この世界の中のイメージが大切で、左脳的な完成された時事を見つめ続けても、もはや答えもないし、気が滅入るだけなのです。
特に、自分に執着する原因もここにあります。
「我執」と言いますが、これが「左脳的」な論理の世界空間しか見れませんと、何とも胸が苦しい生き方しか出来ないものです。
子供なら「爪」をかんだり、大人なら、ワザとらしい咳を続けたり。
人の悪口は止めどなく口にして、自分の中から出られません。
つまり、実際は「左脳的」な事実の中に意識を限定しているから、苦しみは止まりませんし、出口もありません。
あるはずがありません。
あくまで世界が、右脳のイメージを優先的に作られているのですから。
左脳的世界はあくまで、この右脳のイメージを論理化した物にすぎません。
しまりが悪い終わり方ですが、今回は以上にしたいと思います。
最後までお付き合いいただき、有難うございました。
0 件のコメント :
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。