こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。
色々とネタ探しをしていたら、また「ニーチェ」の役に立つお話がありましたので、
投稿させて頂こうと思いました。
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この「ディオニソス」は、「悲劇の誕生」という書物の中に出てきます。
これはニーチェが20代のころに書いた物のようです。
しかし、晩年の「ニーチェ」につながる思想が含まれているものです。
簡単ではありますが、科学的な功利主義は、その必然的な限界に突き当たって崩れるしか道はない。
そこで現代において悲劇的人間の再生が不可欠になってくると言っています。
(よく解らないので、追って説明します。)
この書はギリシャ悲劇の「誕生」と「死」と「再生」の三局面を覗かせるものとなっています。
「ディオニソス」です。
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まず、この「ディオニソス」は何者なのでしょうか。はい、「神様」です。
まぁ、インドの「シヴァ神」に似ていて、「破壊と再生」をつかさどります。
「台風」が来ると生活に混乱をきたしますよね。そう、「台風」のような性格です。
しかし、その後には「実り」があります。人間の「性格」もそうです。
(何故か、そのような男性が好かれたりします。)
規範に従った人間ではなく、「暴君」であり、「酒飲み」であり、のような「避けたい」人。
ところが、そんな人間こそ、人間味があります。
そんな人間こそ、「生」を実感している存在なのでしょう。(ニーチェ的にはです。)
ニーチェは悲劇芸術を、こんな「ディオニソス的」な所に本質がある!と思っていたようです。
「真理、真相、真実」、「ディオニソス的」な「知恵」が認識されると考えていたようです。
ニーチェは「ディオニソス的」な「真理」と「知恵」の認識を人々に要求し、悲劇芸術の中に、
それを自覚することを迫ったのです。
これはつまり、「ディオニソス的」な創造性を見失っている「学問、科学」の「知」、
そして「文明」を批判しているのです。ディオニソス的な「真理」の認識が人間には
重要であるという事です。
ニーチェにとっては科学的な、学問的な認識よりも、こうした悲劇における「世界規則の芸術的反映」の方が勝っていたのです。
つまりは悲劇文化の特徴は「学問」や「科学」よりも、生の根源に立つ人間の知恵を「最高目標」にするところにあったのです。
今回は「ディオニソス」について触れました。
もし、私のご説明で少し気になったのでしたら、私の説明より数倍優れた説明をされているブログが沢山あります。是非、探っ見てください。
今回は以上にしたいと思います。
最後までお付き合いいただき、有難うございました。
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