本日もブログをご覧いただき有難うございます。
何と言いますか、なかなか「投稿」という作業が追い付かない
日々が続いております。(仕事が忙しいのです。)
何故かと言いますと、以前に「日記」のところで
「ロラン・バルト」を紹介している為、
多少は触れておきたいと思った今日この頃であります。
このような概念です。
例えばですが、あなたが自動車に乗っていて
「何か最近、車の調子悪いな」と思って
ガソリンスタンドで点検してもらったとします。
ガソリンスタンドの方は「これは、オイルを交換すればOKですよ!」
と言ってくれました。
あなたは、ガソリンスタンドの方の言うとおり、
オイル交換を行って、車は元の状態に戻りました。
この状況を「ディノテーション」と言います。
まぁ、一般的な状況ですよね。
これに対抗するのが「コノテーション」です。
例えばですが、あなたが自動車に乗っていて
「何か最近、車の調子悪いな」と思って
ガソリンスタンドで点検してもらったとします。
ガソリンスタンドの方は「これは、オイルを交換すればOKですよ!」
と言ってくれました。
ところが、あなたはガソリンスタンドの方を信用しきれていません。
「きっと、ラジエター(エンジンを冷やす部品)も問題があるに違いない。」
このような一般的な状況に反して、あなたの潜在的な心理が影響する状況を「コノテーション」と呼んでいます。
まぁ、結局なんですけど、「確実」に収まる事は、この世にはないんですよ。
あなたがある人に対して、「おい、そこにある棒を取ってくれ」
と頼みます。
しかし、あなたに言われた人は「そこにある物は棒ではなく、
別の製品(ものさし)」と認識しています。
あなたは、「そこの棒がわからないのか!」と怒ります。
しかし、言われている人には棒でなく「別の製品(ものさし)」
なので理解できません。
1つの物体が、通常であれば1つの意味しか持っていなければ問題はないのです。
しかし、通常は1つの物体はその状況に応じて多様な見方をされます。
「ペン」は通常「書くもの」ですが、「突っつく物」にも変化します。
言語という物は、このような変化性を持っています。故に、まとまらないんですよ。
いかに「ディノテーション」を行っても、他者との食い違いが出てしまう。
そもそも、言語がそのような性質を持っているからです。
本日はここまでに致します。
最後までお付き合い頂き、有難うございました。
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