こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。
本日は前回の続きになります。「情念」という精神の働きについてです。
例えば、恋愛、野心、吝嗇。情動の怒りが野心に、情動の恐怖が吝嗇になる。
情念は苦しみを内蔵する。Passinoと言う言葉は、もともと受難を意味する。
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このような事が、アランの芸術論の中に書かれていました。
ここでのポイントは、前回に紹介した「情動」が「動物」にも
共通した精神であったのに対して、この「情念」は、人間にか
ない精神になっているという事です。
例えば、人が人に「恋」する精神とは、まずこのように構成されてきます。
そして、このような事も言っています。
情念に動かされる人間というのは、そこに本来あるべきものとしてある
対象を信じようとはしない。
これは何を言っているのでしょうか。
これは簡単な事で、「恋愛」や「野心」に駆られている人間を信用できますか?
出来ませんよね。危ないでよね。
正常な視野がない状態なのです。
だから「情念」にかられてしまうと、よく人は失敗を起こします。
あなたに上司がいたとします。その上司のお説教が始まりました。
「何度言ったら、お前はわかるんだ。こんな事も出来ないのか!」
嫌なお説教ですよね。普通の人間であれば、この時には「情念」が働いてきます。
まず1つ、「ふざけるな!」
次に1つ、「何とか問題を解決してやる!」など。
ところがです。「情念」という念が消えない限り、ミスは起こり続けます。
理由は簡単です。「情念」があなたを支配しているからです。
その為、この「情念」を克服する必要があります。
「情念」が克服されたとき、それは「感情」となって現れます。。
次回に、「感情」について述べたいと思います。
今回は以上にしたいと思います。
最後までお付き合いいただき、有難うございました。
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