誰でも「殺人鬼」になる事が出来る。だから「防ぐ」のです。

 

こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。

「思想カテゴリー」にて投稿させて頂きます。

 

忘れ去る事が危険な出来事に「相模原障害者施設殺傷事件」がありました。

今年に発生した「殺人事件」において、その犯人の「特異性」が大きな問題を投げかけました。

 

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相模原障害者施設殺傷事件(さがみはら しょうがいしゃしせつ さっしょうじけん)とは、2016年7月26日未明に神奈川県相模原市緑区千木良にある神奈川県立の障害者福祉施設で発生した、刃物による大量殺傷事件である。同日中に19人の死亡が確認され、26人が重軽傷を負った[1]。なお第二次世界大戦後の日本において発生した殺人事件としては、犠牲者19人は最も多かった。

                               相模原障害者施設殺傷事件 - Wikipedia 参照

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この問題に関しては「生命の尊さ」を重視する発言が多く発せられました。

私のブログの中で投稿した事がありました。

 

ただ、やはり「生命の尊さ」のみを発言した記憶があります。

 

これには「訳」があります。

 

こうした問題が発生しますと、「共時的」に「同類」の問題が発生し始めます。

 

まず間違いなく、この日本において「同類」の「殺人狂」がいるはずです。

 

こうした「大量殺人」が可能であり、実行できる状態(時空間の様子)を認知しますと、「同類」の方々は、何かしら「心」を動かし始めます。

 

 

「お祓い」の話を少しだけします。

信じるか、信じないかは、お任せします。

 

「霊能力者」が「霊障」に困る方に対して「悪霊よ、出ていけ」と言いますと、その方は「ウォー」と言いながら、うなり始めます。

 

ここで問題なのは、「霊障」にかかったと思い込んでいる方は、その内に「ウォー」と絶叫する自分を持っています。

どこに「絶叫」する自分があるかですが、それは「潜在意識」の中に入り込んでいます。

 

「潜在意識」の中には、様々な「出来事」や「人格」も入り込んでいて、それが「霊能力者」という「キーワード」から「外に表現」されると言う事です。

 

このような事は、信じられませんが「おおかた誰でも」あります。

おおよそ、この世で感じられる「他人格の世界」を「複合」するように、私達は持っています。

 

ただ、「表現の一部」で反応がでない人は、潜在意識の中に「その作られた状態」がないと言うことです。

 

 

さて、「相模原障害者施設殺傷事件」では「ヒトラー思想」も話題になりました。

もちろん、私の中にも「ヒトラー思想」は生きています。

 

ただ、「白魔術」として扱うのか「黒魔術」として扱うのか、何が「愛」になり、何が「価値」として残るかと選択した場合、私の内からは「愛」が選択されます。

 

だから「ヒトラー」の「悪」ではなくて「正義的な行動」を判別します。

それに多くのドイツ人も、乗っかったはずです。

一元的に「悪」と定める事は致しません。

 

 

さて、本当にですが、はっきりと申しまして、この世界で「邪」と感じる事は、この「宇宙」に反する行為です。

だから人間は「邪」を「邪」と感じ取れるのです。

 

「殺人事件」の犯人にも、この「邪」と感じる精神はあったあずです。

必ず、あるはずです。

 

潜在意識の中に「ヒトラーの正しさとしての自分」や「純粋な正義者の自分」が「複合」するように合わさっているはずです。

 

「殺人事件」の犯人が、その存在において「何もかも悪い」とは言い切れません。

 

ただ、彼は「邪」を選択して「愛」を殺して「世界の価値」に反する行動を行った為に、「救われる事のなき罪」を背負う事になります。

 

この「殺人鬼」の感覚は、誰でも持っています。

だから「反応」する事ができるのです。

 

そして、多くの世の中に「高度な殺人鬼」が多数いらっしゃるはずです。

ただ、その「自己」は「複合する潜在意識の自己」の一部であり、表面に出てくる事がありません。

 

出てきてしまえば「殺人鬼」です。

 

ほんの半世紀前に、やっと人間には「無意識の状態」がある事が解かりました。

そして、その「無意識の世界」に「様々な要因」がある事も解かってきました。

 

「相模原障害者施設殺傷事件」では、その「彼」の「日常における影の部分」が著しく姿を見せてしまい、殺人が日常化する事になります。

 

このような「精神の影」と言われる存在も、全ての人間が持っている世界です。

「彼」の場合、完全に「正義」として姿を見せました。

 

だから、「邪」に対しては「愛」で防がなければなりません。

 

「邪」を正義と判別する行動に対して、「愛」を持って変化させる必要があります。

「邪」は崩れるしか未来がありません。

 

だから、毎日の日常の中で「自分を愛する」行為を感じて行動している事。

「愛」は「邪」を「化学変化」させる「力」があります。

 

このブログを読んで頂いている数名の方には、「ご自身をご自愛ください」という言葉を送りたいのです。

 

「ご自身をご自愛」される習慣は、毎日に「奇跡」を写しはじめます。

 

何故なら、無意識の世界の事柄が「愛」に変化して現れるからです。

 

朝、「夢」で見た事が「現実」の起こるのは、「意識」と「現実」に「堺」が無いからです。

 

これは、「自分を愛する行動」は「意識」の外である「現実」に現れて、自分を豊かに守ってくれる、それは「他者」に「愛」が移って、「自分を愛してくれる」ような現象が起こり始めます。

 

この「力」が唯一、「邪」を「美しい響き」に変化させる「力」です。

 

誰でも「殺人鬼」になる事が出来る。だから「防ぐ」のです。

 

 

今回は以上にしたいと思います。

最後までお付き合いいただき、有難うございました。

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