私が思う「モバイル」という時代

 

こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。

今回は「日記カテゴリー」にて投稿したいと思います。

 

さて、こちらの図を見て頂きたいと思います。

こちらの図は「月」単位のブログを検索される「オペレーティングシステム」の統計でございます。

 

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「WINDOWS」と「Android」と「iphone」のネット閲覧使用率が、おおよそ同じである事がわかります。

 

私が「文化の構造 http://mahakara.blogspot.jp/2014/02/blog-post_19.html」という投稿で書いた事ですが、人間が営む「文化」は、形が変わっても行っている所は同じです。

 

今までは「パソコン」で行っていたネット作業が、手元で行える「モバイル」に置き換わりつつあると言うことです。

 

他の例を上げれば、アフリカの「マサイ族」に自転車が流行れば、乗り始めます。

今までは、足で「走る」ことが、道具という「自転車」を得ることで、生活が変わってしまいます。

 

楽になるのです。

 

人の数千年の歴史は、文化の発達はなく、ただ道具が発達しているだけです。

故に、どんな時代であっても、すぐれた道具に心が惹かれます。

 

道具とは、「モバイル」はもちろん、「モバイル社会」という形を描いた「思想」も、道具として捉えることが出来ます。

 

幕末の思想家を例えるなら、こぞって近代的な思想をあさっていました。

近代的な思想が、人をかき立てる「道具」であったのです。

 

もちろん、「好きな人を射止める」書物もあったでしょう。占いの書物もあります。

こうした書物も「道具」です。

 

「道具」をうまく使って、豊かな生活を目指してきたのが歴史です。

 

 

私が思う「モバイル」という時代ですが、私の世代では「PDA」を持ち歩いていました。

信じられませんが、数年前まで「Pocket PC」である「IPAQ hx2110 」を普通に業務上の在庫整理に使っていました。

しかし残念な事に、「PDA」は限られた人達の手の中でしか世に現れませんでした。

アップルが台頭しなければ、このような時代は来なかったでしょう。

 

 

そんな「モバイル」ですが、ある人は、「モバイル」ばかりでは思考が落ちるなど言う人がいます。

 

私としては、思考が落ちたり、人間としてダメになる部分はないと思います。

あくまで、パソコンがモバイル化しただけです。

 

道具が使いやすい道具に変化しただけです。

 

私の気持は、多くの方々が「文化」の変化と一般的には言われますが、実は「道具」の変化の時代にあっては、積極的に参加して欲しいのです。

何故なら、年代を超えて、誰でも使用する事が出来るからです。

 

何故、年代を超えて誰でも使用できると言い切れるかと言えば、「文化」的な機能は数千年前から何も進化していないからです。

「文化」的な機能が同じであるなら、ただ使いやすくなった「道具」にすぎないのです。

 

万が一、このブログをご覧になっているご年配の方々がおられましたら、文化の変化に対して、新しい道具が世の中に出たとしても、実は難しいことは無く、人間の扱える物です。

 

こうした、「道具」の移り変わりの時代には積極的に参加して欲しいのです。

間違いなく、生活観が変わります。

 

例えばですが、私のブログ投稿を日本以外の国にお住まいの方々が見てくれています。

もしかしたら、街中を散歩途中に「モバイル」端末で、日本の知識を得ているかもしれません。

そんな風に、手軽な道具の時代を使いこなしているかもしれません。

 

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今回は以上にしたいと思います。

最後までお付き合いいただき、有難うございました。