こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。
今回は「神様カテゴリー」にて、すでに投稿している「天津祝詞」について補足的な投稿をしようと思います。
何故に補足投稿しようと思ったかですが、それは予想していたよりも多くの方の関心がある事に気が付いたからです。
私のブログにも、関心をよせて沢山の方がご覧になっています。
そこで、もう少しだけ、私の知識を添えてご説明を致したいと思いました。
「天津祝詞」は「平田 篤胤」が編集した物です。
そして、「平田 篤胤」が祭られている神社が「平田神社」です。
私の心に、ある疑問がございました。
その疑問というのは、「天津祝詞」が「何」であるかです。
皇族が勢いついてきたのは約4世紀頃です。4世紀と言いますと、結構な文明が発達している時代です。
つまり、その時代に使われていた日本の「文字」が気にかかるのです。
よく、日本には「文字」が無かったという話を聞きますが、文化人類学的に「文化に差異はない」為、記号がなかったとは、私的には考えにくのです。
いくらなんでも、4世紀です。貿易だってしていたでしょう。
記号的な物がないとは、私的には疑問があったのです。
つまり、日本古来の文字による「天津祝詞」になる原型があったのではないかと思ったのです。
(かなり勝手な発想ですが。)
それがいわゆる「神代文字」です。
File:Ahiru kusa characters 1.jpg– Wikimedia Commons
もしも、そうした物があるとするなら、それこそ古代の響きを奮わせるものでしょう。
又、別の疑問では「大祓詞」という祝詞がございます。
この「大祓詞」には、ある大きな謎がございます。
それは、この「大祓詞」の前半と後半の中間部分に「天津祝詞の太祝詞事を宣れ」という部分がございます。
これが謎なのであります。
一説には、「天津祝詞」が「太祝詞」という考えもあります。
いや、「太祝詞」は「アマテラス」であるという言葉であると言う説もございます。
その他の説もございますが、これは平田神社で聞くのが良いのではないかと思い、ご参拝をさせて頂きました。
以前のご参拝の際には「世間話」で終わりましたが、今回は恥ずかしながら、まじめに聞いて来ました。
まず、「神代文字」の話です。
この「神代文字」と言いますものは、実は「ハングル文字」のパクリではないかと言う説があります。
「ハングル文字」もある意味、いわく付きの文字であります。それは、福沢諭吉らが広めたのが契機であります。
福沢諭吉は、自分が生きた時代である明治維新のような自国民の意識の向上を朝鮮の人達に照らし合わせました。
朝鮮では、漢字が主流でした。そこに「ハングル文字」を積極的に展開しようとします。
そうした文字ですが、よく出来た文字であるようです。
「平田 篤胤」の時代には、すでに朝鮮にあった為、神代文字はハングル文字のパクリと言われているのです。
しかしながら、伊勢神宮には物部尾輿や後醍醐天皇、源頼朝や義経、平将門が書いた神代文字による奉納文が保管されているとも聞きます。
ハングル文字の成立は15世紀です。
すると、歴史的にはあながちハングル文字のパクリとも言えない訳です。
これについて、平田神社の宮司さんの気分を害さないように聞こうとしましたが、宮司さんから答えて頂きました。
一般的にハングル文字のマネと言われていますが、平田学派からしたら、朝鮮こそマネていると考えているようです。
ただし、宮司さんは無関係の様子でした。つまり、そうした事がありますよ、というご説明でした。
そして「天津祝詞」ですが、宮司さんによると「神代文字」による「天津祝詞」は無いそうです。
あくまで「天津祝詞」は「平田 篤胤」が作ったもので、「神代文字」とは関係がないと言われました。
つまり、「天津祝詞」は完全に日本という文化が整って、言葉も日本語が共通語になった際に出来上がった祝詞を、「平田 篤胤」が整理したものだと解りました。
大変、勉強になりました。
さて、別の疑問ですが「大祓詞」という祝詞がございます。
「天津祝詞の太祝詞事を宣れ」が、「天津祝詞」ではないかと言う話です。
宮司さんの話ですと、「謎」であるそうです。
私にも解らないと言われました。
様々な学派がございますが、これという答えは出ていません。つまり、謎であると言われました。
つまり、「天津祝詞」でもないという事です。
残念ですが、「謎」なのです。
実は、最近ですが興味あるブログを見つけました。
http://blogs.yahoo.co.jp/jun_sanchang/archive/2012/12/30
こちらに「天津祝詞の太祝詞」について書かれています。
内容は、弥生語による「天津祝詞の太祝詞」が存在していたと言う文面です。
確かに、言霊的に強力さを感じます。これはこれで良い気がしています。
私が引っかかっていた内容でした。
古代人の言葉が残っていても良いだろうと言う発想です。
しかし、平田神社では、そこまでは考えておりません。
あくまで、「平田 篤胤」より引き継がれている事実を素直に展開しているように感じます。
それこそ、素敵な真実です。
今残された「天津祝詞」を大切にしていれば、まずはそれで良いのです。
何故なら、かなり多くの方々がこの祝詞に助けられ続けている事でしょう。
多くの神道で使われていますし、私達が日常で使うことも出来ます。
こんな便利な言葉は、あまり無かった事でしょう。
微力ながら、私もブログにて展開させて頂きました。
少しでも、神様に心を近づける事が出来ました。
手を合わせる機会も増えました。
有難い事です。
今回は以上にしたいと思います。
最後までお付き合いいただき、有難うございました。