こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。
本日は「至高体験」について投稿したいと思います。
「至高体験」ですけれど、アメリカの心理学者で「エイブラハム・マスロー」という方の概念であるようです。という事で、私も詳しくは知りません。
ただ、誰でもこんな事を経験はされてはいないだろうか。
例えば、お正月に初日の出を見ようとします。
photo credit: Eduardo Amorim via photopin cc
それは冬の寒空の中で、輝く光が大地を一直線に走るとき、一瞬、感動をしたと思うと、その途端に太陽がグングンと昇り始める。
その時、通常ではない体験、つまり「神秘的」というか「至福的」と言いますか、その種の感動がめぐると思います。
そのような感動を多く体験し続ける方と言うのは、きっと家の中で閉じこもる事を優先される方よりも輝いている事でしょう。
故に、こうした「至高体験」は「タバコ」であったり、「お酒」であったり、人間を一種の解放に向かわせる働きを持ちます。
これは、宗教でも良いのです。一般的な世の中の生活から逃れる為に、「至高体験」を感じて、滝に打たれたって良いのです。
さらに、異性との関係も、より芸術的に進化できる感覚を持つことで、「至高体験」を感じることが出来るかもしれません。
芸術も同様です。
私は、この「至高体験」は良いと思います。人間らしさを感じますし、文化も大きくなる気がします。
ただ、注意すべき点は、「至高体験」という神秘的な体験が、私たちの求めている世界ではないと言う事です。
「至高体験」は、あくまで現実から離れる為の道具であり。これに染まってはなりません。
現実に感謝する目を向けることで、回避する事ができます。
つまり、大地に足をつけて、現実を感じる姿勢が常に大切になってきます。
「至高体験」については、色々な事が話せるでしょう。例えば、フッサールと併用しても説明されています。
しかし、私がこのブログをご覧になった方々に話せるのは以上です。
「至高体験」は度が過ぎれば危険行為です。
忘れてならないのは、「至高体験」が目的ではない事です。
何故、人間の多くが「至高体験」を求めるのか。それは「開放」があるからです。
それ故に、人間は大きく、輝きを放てます。
今回は以上にしたいと思います。
最後までお付き合いいただき、有難うございました。
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