こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。
かなり投稿が遅れてしまいました。
(個人的ですが、忙しいです。心労が絶えません。大変です。)
今回は、ライヒの思想「オルゴン・エネルギー」について投稿したいと思います。
おそらく、この「エネルギー」について知っている超常現象の好きな方は少ないと思います。
私は、ふと思うことがあるのです。
それは、仕事上のストレスや肉体疲労か蓄積しているからですが、「マッサージ」を受ける事が多いです。
色々やりましたよ。私が今をもって一番と言えるのは「タイマッサージ」です。
こうしたマッサージを終えると、心身ともに楽になります。
それは、頭に溜まった、いや、体のどこかに溜まってた不要なエネルギーが抜けたような感覚を覚えるのです。
それを、言葉で表すなら、「オルゴン・エネルギー」かな?と思いました。
photo credit: RelaxingMusic via photopin cc
この「オルゴン・エネルギー」とはW・ライヒさんの思想です。このが言うには、
私たちが異性と性交している時には、その身体から一種のエネルギーが放出されているそうです。
そのエネルギーは、太陽光線の中に含まれる物であるそうです。このエネルギーは非生物体にも、そして大気中にも存在しているそうです。
で、要するに何なの?ですが、この「オルゴン・エネルギー」が肉体から開放されることが、人間の解放とイコールになると言うことです。
私が最近直面する世の中の出来事を書きます。
簡単な事ですが、例えば今日、高田馬場駅で電車を待っていました。都心である為、人が多いです。整列乗車してはいるのですが、電車が着くと、「席」を狙って電車になだれ込みます。
電車から1名ですが、降りようとしていたリクルートスーツ?の女性がいました。
もちろん、降りる事が出来ません。私はとっさに止まって道を作りました。
冒頭で書きましたが、本当に大変疲れています。本当にです。
どう考えても、なだれ込む人達のほうが機敏です。
さて、このような現象を、私は人間が言語を失っているからだと思っています。
言語とは、頭だけにあるものではありません。肉体も行動するにあたり、言語を記憶しています。
故に、例えば「頭より体が先に動く」等の事が起こります。
電車から降りる人の方が優先と解っていれば、必ず待ちます。それが出来ないということは、自分本位になって「待つ」という言語を放棄しています。
ところが、人間が言語を失っているだけに留まらない状態がある気がします。
それが、「オルゴン・エネルギー」です。
「オルゴン・エネルギー」は、異性との性的な行為が成されている時に発生しているエネルギーです。このエネルギーを抑制しているのが、私の大嫌いな、思い込みから発生している抑圧的な世の中。偏屈な道徳社会。(ニーチェの投稿で書いたようなPTAの社会です。)
人間の性のエネルギーを抑制するような社会が、いまだに普通に作り上げられます。これは綺麗に見えても、性的な、人間の根幹からでるような「生」がないと、人は生きる事が出来ません。
人間の「性」(さらに「生」)が抑圧される事がない社会でありたいと思います。
「オルゴン・エネルギー」が体内に荷重された状態であると、それは「抑圧された状態」と言う事になります。
抑圧された人間が集まれば、変な事が正しいと認識して、それが普通だと思う社会を作り始めます。
そして、そこにしか意識を置く事が出来なくなります。
「オルゴン・エネルギー」を開放する活動が必要です。
私が、電車から降りる人に目が届いたのは、「オルゴン・エネルギー」が抜けていたからかもしれません。他の人は、変なストレスに意識を駆られて、椅子に座ることしか見えなかったのかもしれません。
私たちが社会で生活するにあたり、どうしても抑圧された苦痛を受け続けます。だから、誰かが常に目を向けられる、抑圧を防いであげる人が必要です。
それは簡単な事で、誰もが手と手を合わせれば良いことです。
だから誰か、私を助けてください!(# ̄ー ̄#)ニヤ
ささやかですが、本日も何かの気晴らしになれたでしょうか。
今回は以上にしたいと思います。
最後までお付き合いいただき、有難うございました。
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