こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。
久しぶりに哲学「アランの想像力」について投稿したいと思います。
さて、あなたが夜道を歩いていたとします。
photo credit: A Guy Taking Pictures via photopin cc
その時です。「ふと」あなたは何かを感じ取りました。
それは暗い茂みの中からです。得もしない何かが、あなたの心に忍び寄ります。
「何かがいる!」
あなたは危険を感じ取るでしょう。
さて、こうした事態を誰しも感じた事があるでしょう。
アランは、このように考えています。
だいたい、物を生み出す想像力とはいったい何なのか。「想像力とは単に精神の持つ静観的な力などではなく、身体の混乱と同時に精神の中に入ってくる誤謬と無秩序のことを言うのである」(世界の名著p62)
メルロ・ポンティの「知覚」の投稿を思い出して頂けると幸いです。
人間はまず初めに、その身体こそ「意識」をつかさどります。
以前に、アランの「情動」のご説明ですが、「情動」という作用は、「身体が外部からの刺激により発生する精神」であると投稿いたしました。
そして、情念として形を変化させます。自然に存在する「恐怖」が引き金になり、あなたを突き動かします。
これが、アランが言う「想像力」になります。
そして、あたなの身体に感じた夜道の「いかがわしい」気配。それは「幻惑」です。
さて、この「いかがわしさ」とはいったい何なのでしょうか。これこそ「自然」という正体なのです。
それこそ人間が把握しきれない世界です。それは何か「恐ろしい物」を潜ませているものです。
この恐ろしい存在を、無秩序をどのように解決するのでしょうか。
はたして、そんな恐ろしい物を人間が抑えきることが出来るのでしょうか。
アランはやっていこうと考えるのです。
ではどうしてそれが可能だと考えたのであろうか。
その理由としてまず考えられるのが、自然という物がそれほど考えられない恐ろしさを含んでいるとしっかり解っていたからです。
アランの芸術論では「ジャンル分け」で芸術論が説明されています。
芸術作品自体は自然の物質を使っているが、そこには人間の「刻印」のような物が刻まれる。そうです。(シーニュ)です。
そうして作品が出来上がるのですが、自然という恐ろしさを含んでいる物は、たかが人間の幻惑の前に姿を変えてしまうのです。
自然という計り知れない恐ろしさとは、人間の想像力と同じなのです。
だから自然の物質は、人間の計り知れない情念によって姿を変えられるのです。
つまり、人間は自然を抑えることが出来るという事が、アランの芸術論からは読みとることが出来る。
私は思うのです。限りなく人と接してつらい事があります。
あらゆる人は、私も含めて、まず第一に自分の事しか考えていません。
しかし、それでもまずは他者を思いやる事が大切です。
この世界を無事に進もうとしたら、列車に乗ってレールの上を走ってもらっている事が一番楽な方法です。
しかし、その為には隣人を容赦なく落とし入れる人が沢山います。
そうした人は、ご自身が行っている事を正義だと思っています。
理由は、列車のレールの上は、世の中の一般理論だからです。
しかし、このブログで「ラングとパロール」、そして「ディノテーションとコノテーション」を読んで頂けた方なら解ると思いますが、人間の捉えている世界は、実は誰も共通ではありませんし、この世界の文法(法律や常識)もあってないような物です。
そんな不完全な世界を理解しておらず、例えば世の中の「正義」を押し付けて他者を支配しようとする悪人。私は大嫌いです。
さらに言えば、ご自身が経験している「正義」を他者に押し付けて、無理なら他者を悪く言う人間も大嫌いです。
言葉はネズミのように広がります。ワードオブマウスです。
心の綺麗な人達が、どれほど被害を受けてきたことでしょう。
あなたの周りにも、悪人扱いされて消えていった人はいませんか?
はっきり申し上げて、この世界に正解はございません。
しかし、列車のレールの上に世界を見ている人の多くの人は、その世界も限りない空虚の中にある事をしりません。
それこそ、アランの「想像力」の世界なのです。
「いかがわしさ」と「恐ろしさ」を含んだままの、自然(カント的な客観世界)の中にあるのです。
哲学が人の助けになると思えるのは、こうした理由を説明できて、本当に正しい事を行っている方々を、理解できる学問であると言う事だと思います。
私は、正義を語る悪人が大嫌いです。
正義を語る悪人とは、世の中で流通している正しき事の多くを知っていて、普通の人間が、それに反する事が出来ないと言う事を先天的に知っていて、自由人を支配する人達です。
私は望む、この世界に必要な人達がいます。
それは、この世界の「恐ろしさ」を支配できる、芸術家的な「想像力」を持てる自由人です。
こうした能力がなけれな、不自然な正義の世界に埋没させる悪人に対処できません。
それだけではありません。こうした「力」を持つ人達がいなければ、おおよそ国家も成り立たないでしょう。
私たちの意識に降りかかる「想像力」というパワーを、支配できる人間になっていたいです。
私は未だ、強く感じています。
今回は以上にしたいと思います。
最後までお付き合いいただき、有難うございました。
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