こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。
今回は「日記カテゴリー」にて投稿したいと思います。
この気持ちも、投稿したい内容でした。占い師の言う事に、全て従わないで欲しいのです。
一般的な風潮として、占いは「遊び事」のように捉えられている気はします。
しかし人間は、安易に自分の都合の良い場所に落ち着こうとするものです。
まず、大前提ですが、私達の生活している流れの中には「時間」があります。
例えば、大きな滝(たき)の流れを見ているとします。
天気予報では1時間後に雨が降ると予想されています。
その時の滝と、その周辺の様子を想像してみて下さい。
そして1か月後、また大きな滝(たき)の流れを見ているとします。
天気予報では1時間後に雨が降ると予想されています。
その時の滝と、その周辺の様子を想像してみて下さい。
1か月前と1か月後では、風景が違うはずです。
もっと話しますと、数時間後の決まった時刻の滝(たき)の流れを理解する事は出来ません。
一粒の滴の動きは、その時々に違うはずです。
時間を止めて、現象を修正する術を知っていないと出来ることではありません。
そこで、占い師の顔を見てみて下さい。
インターネットに見られる方々の顔をご覧になると、理解できると思います。
占い師の顔は、人生の流れを確定させたような雰囲気を感じてしまいます。
つまり時を止めた人間でないと、あの人生を確定させた顔はできません。
現実は流動しているからです。
運命と言う時を確定しているのが「占い」であります。
占いとは、数時間後の決まった時刻の滝(たき)の流れを理解する事に等しい行為です。
実は、それが「不潔」であり、「停滞」を及ぼす影響を理解してください。
「不潔」とは、決まった思考を続けて収めるのが「占い」であるからです。
その為、「占い」には確定した思考が原点となって、運命を話し続けます。
時間の流れの中に生活する全ての人間は、常に新たな「思考」を得てゆきます。
常に「新鮮さ」を得ています。そして、不要な物は捨て続けます。
しかし、「占い」には、それがありません。
決まった思考の中にあり続けて、外に出ない「不潔」を感じます。
そして、その思考の「不潔」に携わっていれば、自然と「停滞」を及ぼします。
これは「占い師」の近くに行くと感じる事です。
「占い師」のブースがデパートの中にあったりします。
その一角だけ、どんよりした空気を感じます。
人間が人生に落ち込んでいれば、その空気と同調しやすい事でしょう。
しかし、その空気の中は「不潔」と「停滞」があるとしたら、「占い」に頼る方は、その息苦しい空間から出る事は出来ないでしょう。
純粋な人の行いではありません。
私はブログ内で「ニーチェ」や「大祓詞」や「脱「正負の法則」」などを投稿してきました。
通常の人間生活とは、実は「占い」とかけ離れた場所にあります。
常に流動する時の流れがあり、月日と共に精神の成長があり、生活の為の思考も変化してゆき、喜怒哀楽の情景があります。
しかし「占い」とは、断定された時間の中にあり、決定された空間の中に未来を見据えます。
ここには、人間の生活における「進化」よりも「停滞」させる運命が強くあります。
「占い師」の顔には、この「停滞」の雰囲気を強く感じるのです。
さらに言えば、「その仲間たちのグループ」である事です。
それが人であるのか解りませんが、私にはとにかく得体(えたい)が知れません。
抜け駆け的な、小悪さを得意とする人間であるならば、「占い」に手を出したとしても、分別を理解しているので、問題はないと思います。
だから言いたいのですが、占い師の言う事に、全て従わないで欲しいのです。
流れる滝の滴の先を、理解できる人間はいません。
行き詰ったり、欲を欲している時とは、実は「停滞感」を理解している時です。
その先に「占い」という「箱」があり、魂を預けて世の中を見渡しますが、それは単純に「その仲間たちのグループ」になっているだけの事です。
自分自身の鼓動の音が、徐々に打ち消され始め、見える風景は、「占い箱」から見える、停滞した情景になるでしょう。
しかしながら、自分の体から見渡す風景はいずれも、真実に見えてしまう物です。
今回は以上にしたいと思います。
最後までお付き合いいただき、有難うございました。
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